ない、どこか病質にさえ見えた悒鬱《ゆううつ》な少年時代の君の面影はどこにあるのだろう。また落葉松《からまつ》の幹の表皮からあすこここにのぞき出している針葉の一本をも見のがさずに、愛撫《あいぶ》し理解しようとする、スケッチ帳で想像されるような鋭敏な神経の所有者らしい姿はどこにあるのだろう。地《じ》をつぶしてさしこ[#「さしこ」に傍点]をした厚衣《あつし》を二枚重ね着して、どっしり[#「どっしり」に傍点]と落ち付いた君のすわり形は、私より五寸も高く見えた。筋肉で盛り上がった肩の上に、正しくはめ込まれた、牡牛《おうし》のように太い首に、やや長めな赤銅色の君の顔は、健康そのもののようにしっかり[#「しっかり」に傍点]と乗っていた。筋肉質な君の顔は、どこからどこまで引き締まっていたが、輪郭の正しい目鼻立ちの隈々《くまぐま》には、心の中からわいて出る寛大な微笑の影が、自然に漂っていて、脂肪気のない君の容貌《ようぼう》をも暖かく見せていた。「なんという無類な完全な若者だろう。」私は心の中でこう感嘆した。恋人を紹介する男は、深い猜疑《さいぎ》の目で恋人の心を見守らずにはいられまい。君の与えるすばらしい男らしい印象はそんな事まで私に思わせた。
 「吹雪《ふぶ》いてひどかったろう」
 「なんの。……温《ぬく》くって温くって汗がはあえらく出ました。けんど道がわかんねえで困ってると、しあわせよく水車番に会ったからすぐ知れました。あれは親身《しんみ》な人だっけ」
 君の素直な心はすぐ人の心に触れると見える。あの水車番というのは実際このへんで珍しく心持ちのいい男だ。君は手ぬぐいを腰から抜いて湯げが立たんばかりに汗になった顔を幾度も押しぬぐった。
 夜食の膳《ぜん》が運ばれた。「もう我慢がなんねえ」と言って、君は今まで堅くしていたひざをくずしてあぐらをかいた。「きちょうめん[#「きちょうめん」に傍点]にすわることなんぞははあねえもんだから。」二人は子供どうしのような楽しい心で膳《ぜん》に向かった。君の大食は愉快に私を驚かした。食後の茶を飯茶わんに三杯続けさまに飲む人を私は始めて見た。
 夜食をすましてから、夜中まで二人の間に取りかわされた楽しい会話を私は今だに同じ楽しさをもって思い出す。戸外ではここを先途とあらしが荒れまくっていた。部屋《へや》の中ではストーブの向かい座にあぐらをかいて、癖のよう
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