《ゆげ》を立てんばかりな平べったい脂手が、空を切って眼もとまらぬ手真似の早業《はやわざ》を演ずる。そういう時仲間のものは黙ってそれが自然に収まるのを待っているよりほかはない。彼は貧乏ゆすりをしながら園から受取った星野の葉書を手脂だらけにして丸めたり延ばしたりしていた。それを棒のように振り廻わし始めた。
 高所大所《こうしょたいしょ》とはいったい何を意味するつもりだというところから柿江は始めた。高所は札幌の片隅にもある、大所は女郎屋《じょろや》の廻し部屋にもあると叫んだ。よく聞けよく聞けといって彼はだんだん西山の方に乗りだしていった。西山は自分の机に腰をかけたまま受太刀になってあっけに取られてそれを眺めていなければならなかった。
「教授の手にある講義のノートに手垢《てあか》が溜《た》まるというのは名誉なことじゃない。クラーク、クラークとこの学校の創立者の名を咒文《じゅもん》のように称《とな》えるのが名誉なことじゃない。当世の学問なるものが畢竟《ひっきょう》何に役立つかを考えてみないのは名誉なことじゃない。現代の社会生活の中心問題が那辺《なへん》にあるかを知らないのは名誉なことじゃない。それを知って他を語るのはさらに名誉なことじゃない。日清戦争以来日本は世界の檜舞台に乗りだした。この機運に際して老人が我々青年を指導することができなければ、青年が老人を指導しなければならない。これでありえねばあれだ。停滞していることは断じてできない。……言葉は俺の方が上手《じょうず》だが、貴様もそんなことを言ったな。けれども貴様、それは漫罵《まんば》だ。貴様はいったい何を提唱した。つまりくだらないから俺はこんな沈滞した小っぽけな田舎にはいないと言うただけじゃないか。なるほど貴様は社会主義労働運動の急を大声疾呼《たいせいしっこ》したさ。けれども、貴様の大声疾呼の後ろはからっぽだったじゃないか。そうだとも。よく聞け。ガンベの眼玉みたいなもんだ。神経の連絡が……大脳と眼球との神経の連絡が(ガンベが『貴様は』といって力自慢の拳を振り上げた。柿江は本当に恐ろしがって招き猫のような恰好をした)乱暴はよせよ。……貴様の議論には、その議論を統一する哲学的背景がまったく欠けてるんだ。軽薄な……」
「何が軽薄だ。軽薄とは貴様のように自分にも訳の判《わか》らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴《ともな》わないのを軽薄というんだ。けれどもだ、俺はとにかく実行はしているぞ。哲学はその後に生れてくるものなんだ」
 西山は軽薄という言葉を聞くと癪《しゃく》にさわったが、柿江の長談義を打ち切るつもりで威《おど》かし気味にこういった。
 けれども柿江はほとんど泥酔者《でいすいしゃ》のようになってしまっていた。その薄い唇は言葉を巧妙に刻みだす鋭い刃物のように眼まぐるしく動いた。人見はいつの間にかこそこそ[#「こそこそ」に傍点]と二階の自分の部屋に行ってしまった。
 そこに園が静かにはいってきた。夜寒で赤らんだ頬を両手で撫でながら、笑みかけようとしたらしかったが、少し殺気だったその場の様子にすぐ気がついたらしく、部屋の隅をぐるっ[#「ぐるっ」に傍点]と廻って窓の方に行って坐った。
 柿江はまだ続けていた。西山はもう実際うるさくなった。自分の生活とは何んの関係もない一つの空想的な生活が石ころのようにそこに転がっているように思った。
「寒いか」
 戸外の方を頤《あご》でしゃくりながら、柿江には頓着《とんちゃく》なく園に尋ねた。
 その拍子に柿江がぷっつりと黙った。憑《つ》いていた狐が落ちでもしたように。そしてきまり悪るげにそこにいた三人の顔に眼を走らすと慌てて爪を噛みはじめた。
「渡瀬君まだいたんだね。僕はもし帰ってしまうといけないと思ってかなり急いだ」
「おたけさんから何か伝言《ことづけ》があったろう」
「いいえ」
 園はまるでおとなしい子供のようににこついた。
「柿江君さっきの葉書はどうしたろう。渡瀬君に見せてくれたの」
 笑うべきことが持ち上っていた。星野の葉書は柿江の手の中に揉みくだかれて、鼠色の襤褸屑《ぼろくず》のようになって、林檎《りんご》の皮なぞの散らかっている間に撒《ま》き散らされていた。
「困るなあ、それにね、三隅のおぬいさんの稽古を君に頼みたいからと書いてあったんだのに……それだから渡瀬君に渡してくれって頼んでおいたじゃないか」
「君にとは俺にかい」
 園に顔を見つめられながら、半分は剽軽《ひょうきん》から、半分は実際合点がいかない風でガンベは聞き返した。法螺《ほら》吹で、頭のいいことは無類で、礼儀知らずで、大酒呑で、間歇的《かんけつてき》な勉強家で、脱線の名人で、不敵な道楽者……ガンベはそういう男だったのだから、少なくとも人が彼をそう見ていることを知っていたから。
「そうだ、君にだ」
 そう園のいうのを聞くと、ガンベは指の短かい、そして恐ろしく掌の厚ぼったい両手を発矢《はっし》と打ち合せて、胡坐《あぐら》のまま躍り上がりながら顔をめちゃくちゃにした。
「星野って奴は西山、貴様づれよりやはり偉いぞ」
 西山は日ごろの口軽に似ず返答に困った。西山が星野を推賞した、その矛《ほこ》を逆まにしてガンベは切りこんできた。星野が衆評などをまったく眼中におかないで、いきなり物の中心を見徹していくその心の腕の冴《さ》えかたにたじろいたのだ。しかたなしに彼は方向転換をした。そして、
「園君、君が最初に頼まれたんだろう」
 と搦手《からめて》からガンベの陣容を崩そうとした。
「いいえ別に、僕は手紙をおぬいさんにとどけるように頼まれただけだった」
 それが園の落ち着いた答えだった。
「俺が札幌にいりゃ、この幕は貴様なんぞに出しゃばらしてはおかなかったんだが」
 そういって西山は取ってつけたように傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に高笑いするよりのがれ道がなかった。
 柿江は三人の顔にかわるがわる眼をやりながら爪をかみ続けていた。あのままで行くと狂癲《きちがい》にでもなるんではないかとふと西山は思った。とにかく夜は更けていった。何かそこには気のぬけたようなものがあった。六年近く兄弟以上の親しさで暮してきたこの男たちとも別れねばならぬ四辻に立つようになった……その淡い無常を感じて、机からぬっくと立ち上りながら西山は高笑いを収めた。そして大きな欠伸《あくび》をした。
     *    *    *
 その時清逸は茶の間に母といっしょにいたのだが、おせいの綿入を縫っていた母は針を置いて迎えに立っていった。清逸は膝の上に新井白石の「折焚く柴の記」を載せて読んでいた。年老いた父が今|麦稈《むぎわら》帽子を釘《くぎ》にひっかけている。十月になっても被りつづけている麦稈帽子、それは狐が化《ば》けたような色をしている。そしてそれは父が自分の家族のためにどれほど身をつめているかを人に見せびらかすシムボルなのだ。清逸はそれをまざまざと感ずることができた。そればかりではない。今日の父は用向きがまったく失敗に終ったこと、父が侮蔑《ぶべつ》だと思いこみそうなことを先方からいわれて胸を悪くして帰ってきたこと、それをも手に取るように感ずることができた。清逸にはその結果は前から分っていることだった。
 わざとらしい咳払《せきばら》いを先立てて襖《ふすま》を開き、畳が腐りはしないかと思われるほど常住坐《じょうじゅうすわ》りっきりなその座になおると、顔じゅうをやたら無性に両手で擦り廻わして、「いやどうも」といった。それは父が何か軽い気分になった時いつでもいう言葉だ。しかしそれを今日はてれ隠しにいっている。
 母が立ったついでにラムプを提げてはいってきた。そしてそれを部屋の真中にぶらさがっている不器用な針金の自在鍵《じざいかぎ》にかけながら、
「降られはしなかったけえ」と尋ねた。
「なに」
 といったぎりでまた顔を撫でた。と、思いだしたように探りを入れるような大きな眼を母の方にやりながら、
「時雨《しぐ》れた時分にはちょうど先方にいたもんだから何んともなかった」
 とつけ加えた。父は一度も清逸の方を見ようとはしない。
 札幌のような静かな処に比べてさえ、七里|隔《へだ》たったこの山中は滅入《めい》るほど淋しいものだった。ことに日の暮には。千歳川の川音だけが淙々《そうそう》と家のすぐ後ろに聞こえていた。清逸は煮えきらない部屋の空気を身に感じながら、その川音に耳をひかれた。こっちの方から話の糸口を引きだして、父の失敗が気にかけるほどのものではないのを納得させたものだろうか、それとも話の出ないのをいいことにしてうやむやにすましてしまったものだろうかと考えた。久しぶりで戸外に出た父は、むだ話の材料をしこたま持って帰っているに違いない。思出話ばかりを繰り返している反動に、それを一つ一つ持ちだされるのは清逸にはちょっと我慢のできないことらしかった。さらぬだにいらいらしがちな気分と、消耗熱《しょうもうねつ》のために我慢が薄くなっているのとで、清逸はそれを恐れた。清逸はつまらぬこととは思いながら白石の父の賢明さを思い浮べた。父子で身にしみじみと話しこんで顔にとまった蚊が血に飽きすぎて、ぽたり[#「ぽたり」に傍点]と膝の上に落ちるまで払いもせずにいたという、そういう父子の間柄であったのを思い浮べた。その挿話は前から清逸の心を強く牽《ひ》いていたものだった。
 父は煙草をのんではしきりに吐月峰《とげっぽう》をたたいた。母も黙ったまま針を取り上げている。
 店の方に物を買いに来た人があった。母はすぐ立っていった。
「どうもやはり北海道米はなあ増《ふ》えが悪るうて。したら内地米の方に……何等どこにしますかなあ」
 買手の声は聞こえないけれども、母のそういう声ははっきりと聞こえた。父は例の探りを入れるような眼をちょっとそっちに向けた。そしてこの機会にと思ったか始めて清逸の眼をさけるようにしながら忙がしく話しかけた。
 中島は会わないでその養子というのが会ったのだが、老爺が齢《とし》がいっているので、そんな話はうるさいと言って聞きたがらないし、自分の一存としていうと、当節東京に出ての学問は予想以上の金がかかるから、こちらは話によっては都合しないものでもないけれども、何しろ学問が百姓とはまったく縁のないことだし、長い間にはそちらが当惑なさるようにでもなると、せっかく今までの交際にひびが入ってかえっておもしろくないから、子息さんがそれほどの秀才なら、卒業の上採用されるという条件で話しこんだら、会社とか銀行とかが喜んで学資を出しそうなものだ。ひとつ校長の方からでもかけ合ってもらうのが得策だろうとの返辞だったと父は言った。
 そこに母が前掛についた米の粉をはたきながらはいってきた。父は話を途切らそうか続けようかと躇《ため》らった風だったが、きゅうに調子を変えて、中島の養子というのを眼下《めした》扱いにして話を続けた。
「中島に養子にはいるについちゃあれはわしが口をきいてやったようなものだ。ろくな元資《もとで》も持たず七年前に富山から移住してきた男だったが、水田にかけては経験もあるし、人間もばかではないようだったから、……その……何んとかいったなあもう一人の養子は……何んとかいった、それにわしが推薦《すいせん》したのがもとになったんだ。それをおみさ(と今度は母の方に)今日会うとな、『金でもありあまっていることならとにかく、さもなければ学問はまあ常識程度にしておいて、実地の方を小さい時から仕込むに限りまっさ』とこうだ」
 そして惘《あき》れはてたという顔を母にしてみせた。
 それはしかし父が清逸の弟について噂《うわさ》する時誰にでも言って聞かせる言葉ではないか。清逸の学資の補助(清逸は自分の成績によって入校二年目から校費生になって授業料を免除されている上毎月五円の奨学金を受けていた)を送金する時にも、父は母に向ってたまには同じようなことを言ったかもしれないのだ。
 清逸はもうそのほかに何んにも聞く必要はなかった、札幌に学んでいることすらも清逸の家庭にとっ
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