奇妙な物売だけはことに柿江の注意を牽《ひ》いた。
 鉢巻の取れた子供の羅紗帽《らしゃぼう》を長く延びたざんぎり頭に乗せて、厚衣《あつし》の恰好をした古ぼけたカキ色の外套を着て、兵隊脚絆《へいたいきゃはん》をはいていた。二十四五とみえる男で支那人のような冷静で悧巧な顔つきをしていた。それが手ごろの風呂敷包を二枚の板の間に挾んで、棒を通して挾み箱のように肩にかついでいた。そして右の手には鼠色になった白木綿《しろもめん》の小旗を持っているのだが、その小旗には「日本服を改良しましょう。すぐしましょう」と少しも気取らない、しかもかなり上品な書体で黒く書いてあった。
 その小旗が風に靡《なび》いて拡がれば拡がったまま、風がなくなって垂れれば垂れたままで、少しの頓着もなく売声はもとより立てずに悠々《ゆうゆう》と歩いていくのだった。
 柿江も二十五だった。彼は何んとなくその物売に話しかけたくなった。そしてつかつかとその方に寄っていこうとした。その時彼は先夜西山と闘《たたか》わした議論のことを思った。
「貴様のように自分にも訳の判らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴わないのを軽薄というんだ」と西山
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