ものだ。しかしそれは誘惑には違いないが、それだけの好奇心でおぬいさんの心を俺の方に眼ざめさすのは残酷《ざんこく》だ。……
清逸はくだらないことをくよくよ考えたと思った。そして前どおりに障子にとまっている一匹の蝿にすべての注意を向けようとした。
しかも園が……清逸が十二分の自信をもって掴みうべき機会を……今までの無興味な学校の課業と、暗い淋しい心の苦悶の中に、ただ一つ清浄無垢《せいじょうむく》な光を投げていた処女を根こそぎ取って園に与えるということは……清逸は何んといっても微《かす》かな未練を感じた。そして未練というものは微かであっても堪えがたいほどに苦《にが》い……。清逸はふとこの間読み終ったレ・ミゼラブルを思いだしていた。老いたジャン・※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルジャンが、コーセットをマリヤスに与えた時の心持を。
階子段《はしごだん》を規律正しく静かに降りてくる足音がして、やがてドアが軽くたたかれた。
その瞬間清逸は深く自分を恥じた。それまで彼を困らしていた未練は影を隠していた。
顔は十七八にしか見えないほど若く、それほど規則正しい若さの整いを持っているが、二十
前へ
次へ
全255ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング