ひょうきん》なようで油断のならないところがある。あの男はこうと思いこむと事情も顧みないで実行に移る質《たち》だ。人からは放漫と思われながら、いざとなると大掴みながらに急所を押えることを知っている。おぬいさんにどんな心を動かしていくかもしれない。……
 蝿が素早く居所をかえた。
 俺はおぬいさんを要するわけではない。おぬいさんはたびたび俺に眼を与えた。おぬいさんは異性に眼を与えることなどは知らない。それだから平気でたびたび俺に眼を与えたのだ。おぬいさんの眼は、俺を見る時、少し上気した皮膚の中から大きくつやつや[#「つやつや」に傍点]しく輝いて、ある羞《はにか》みを感じながらも俺から離れようとはしない。心の底からの信頼を信じてくださいとその眼は言っている。眼はおぬいさんを裏切っている。おぬいさんは何にも知らないのだ。
 蝿がまた動いた。軽い音……
 おぬいさんのその眼のいうところを心に気づかせるのは俺にとっては何んでもないことだ。それは今までも俺にはかなりの誘惑だった。……
 清逸はそこまで考えてくると眼の前には障子も蝿もなくなっていた。彼の空想の魔杖の一振りに、真白な百合《ゆり》のような
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