トロンコになったよ。もう帰りたまえ。星野のいない留守に伴れてきたりすると、帰ってから妬《や》かれるから」
「柿江、貴様《きさま》はローランの首をちょん切った死刑執行人が何んという名前の男だったか知っているか」
 前のは人見が座を立ちそうにしながら、抱きよせたクレオパトラの小さな頭を撫《な》でつつ、にやりと愛嬌《あいきょう》笑《わら》いをしているおたけにいった言葉だが、それをおっ被《かぶ》せるように次の言葉は西山が放った。めちゃくちゃだった。けれども西山は愉快だった。隅の方で、西山が図書館から借りてきたカアライルの仏蘭西《フランス》革命史をめくっていた園が、ふと顔を上げて、まじまじと西山の方を見続けていた。濛々《もうもう》と立ち罩《こ》めた煙草《たばこ》の烟《けむり》と、食い荒した林檎《りんご》と駄菓子。
 柿江は腹をぺったんこに二つに折って、胡坐《あぐら》の膝で貧乏ゆすりをしながら、上眼使いに指の爪を噛《か》んでいた。
 ほど遠い所から聞こえてくる鈍い砲声、その間に時々竹を破るように響く小銃、早拍子な流行歌を唄いつれて、往来をあてもなく騒ぎ廻る女房連や町の子の群れ、志士やごろつきで賑《
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