になりまして」
簡単な挨拶が終るとおぬいさんの尋ねた言葉はこれだった。園はまず星野のことが尋ねられるのがことのほか快かった。その理由は自分にも解らなかったけれども。
「星野君は今日も学校を休みました。この二三日また身体の具合がよくないそうで」
「まあ……」
おぬいさんの顔には痛ましいという表情が眼と眉との間にあからさまに現われて、染まりやすい頬がかすかに紅く染まった。園はそれをも快く思った。
「だから今日の英語は休みたいからといって、今朝白官舎を出る時この手紙を頼まれてきたんですが……」
そういいながら園は内|衣嚢《かくし》から星野の手紙を取りだした。取りだしてみると自分の膚の温《ぬく》みがそれに沁《し》みついていたのに気がついた。園はそのまま手紙をおぬいさんに渡すのを躊躇《ちゅうちょ》した。そしてそれを手渡しする代りに、そっとちゃぶ台の冷たい板の上においた。
何んの気なしに少しいそがしく手をさしだしたおぬいさんは、園の軽い心変りにちょっと度を失ってみえたが、さしだした手の向きをかえて机の上からすぐ手紙を拾い上げた。すぐ拾い上げはしたが、自分の膚の温みはあの手紙からは消えている
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