ていた。そこいらには煙草の吸殻や、菓子の包んであったらしい折木《へぎ》や、まるめた紙屑や、欠けた瀬戸物類が一面に散らばっていた。柿江はその一つずつに物語を読んだ。すべてがすでに乱れきった彼の心をさらにときめかすような物語だった。
突然柿江は橋の奥の路地をこちらに近寄ってくる人影らしいものに気がついた。はっ[#「はっ」に傍点]と思った拍子に彼は、たった今大急ぎでそこに来かかったのだというような早足で、驀地《まっしぐら》に板橋を渡りはじめていた。そして危くむこうからも急ぎ足で来る人――使い走りをするらしい穢《きた》ない身なりの女だったが――に衝きあたろうとして、その側を夢中ですりぬけながら、ガンベといっしょに来た時のように制帽を懐ろにたくしこんだ。廓内の往来に出ると、暖かい黄色い灯の光に柿江は眩《まぶ》しく取り巻かれていた。彼は慌てて袖の中を探った。財布はたしかに左の袖の底にあった。今夜はよその家にはいるのが得策だと心であせったが、どういうものかそれができないで、まずいことだとは知りながら、彼はひとりでにガンベに誘いこまれた敷波楼の暖簾《のれん》を飛びこむようにして潜った。
「日本服を改
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