不安とが、もどかしく心の中で戦い合った。
いつものとおりの落ち着いたしとやかさでおぬいさんが茶を入れていた。小母さんは茶を飲み終るまでも、大事な問題は延ばしておこうとでもするように、途中が寒かったろうなどと、世間なみの口をきいていた。園は自分の気持が何んとなく小母さんに通じているのだなと思った。長い生活の経験と、親というものの力が美しく働いているらしいのを感じて、その月並な会話にもけっして不快は感じなかった。
園はおぬいさんが進めてくれた茶を静かにすすった。少しそれは熱すぎた。彼は冷えた両手でほとぼりの沁《し》み残った茶碗を握りしめてみた。そこからも快い感触が神経の奥に暖かく移っていった。ふと眼を挙げるとそこにおぬいさんの眼があった。何んの恐れ気もなく、平和に、純潔な、そして園の心におのずと涙ぐましさを誘うような淋しさ、――淋しさではない。淋しさということはできない。淋しさに似てもっと深いもの、いい言葉はない――を籠めた、黒眼がちな眼。慎しみ深い顔の中にその眼だけがほのかにほほえんで、そこにつぎつぎに開けてゆく世界をより深く眺めようとするように見えた。おぬいさんのその眼があった。そしてそれがやわらかく、まともに園の方に寒いまでに澄んでしかもこの上なく暖かい光を送っていた。園はその眼を思わずじっと眺めやった。その瞬間に園の覚悟は定まった。彼は柱から身を起して端坐した。そして臆することなく小母さんの方に面を向けた。口を切ろうとする時、父のことをまずいいだそうとしたが、すぐそれが間違っているのを自分で悟った。
「こんなことをいうのはまだ早すぎはしないかと思いますのですけれども、事情がこれ以上|躊躇《ちゅうちょ》するのを許さないようですから……」
園は両手に握っている茶碗を感じた。そしてその茶碗の中にさらに一杯の茶を欲した。けれども彼は続けた。
「僕は自分としてはこれ以上は考えられないというところまで考えたつもりです。もし失礼に当ったら許してくださいまし。僕はおぬいさんとお約束をすることができたらと思うんです……そう願っています」
園はおぬいさんに向っても同じことをいいたかったのだ。しかしそれを聞きつつあるおぬいさんの苦痛を察すると、どうしてもそちらに眼をやることができなかった。それにもかかわらずおぬいさんが処女らしい羞《は》じらいのために、深々と顔を伏せたのが痛むほどきびしく園の感覚に伝ってきた。
小母さんは切れ切れな園の言葉を聞くと、思わずはっと胸をつかれたらしく、かすかに口をゆるめて、鋭い色を眼にひらめかしたが、やがて、というほどもなく、園をしげしげと見やりながら黙ったままで深くうなずいてみせた。そしてかすかな血の気をその疲れたような頬に現わした。自分は今答えようにも答えられないから、もっと何んとかいえとその顔は促がしていた。園は何か言おうとした。しかしそこには言うべき何事も残ってはいなかった。それ以上をいうのは冒涜《ぼうとく》にすら感じられた。
園と小母さんとは無言のままで互いの眼から離れて下を向いてしまった。ストーヴの中の薪《まき》がゆるく燃えている。その音だけがしめやかに狭い部屋の中に拡がっていた。
と、おぬいさんが無言のままで立ち上って、間の襖を開けて静かに隣の部屋に去った。小母さんはそのきっかけにおぬいさんに何かいおうとしたらしかったが、思い返したか、心|許《もと》なげな眼つきでその後姿を目送しただけで何もいわなかった。
襖が静かに締まった。
園はもう一つ言っておかねばならぬものを思いついた。それゆえふたたび顔を上げて小母さんを見た。小母さんは園を避けながら、いらだっているような風で火鉢の炭をせせっていた。しかしそれはいらだっているのではなく、少し心の落ち着きを失っているのだということが園にはよく解った。彼は小母さんの引きしまった横顔を見やりながら口を切った。
「僕ははじめこのことをあなただけの所で申しあげようか、おぬいさんだけに聞いていただこうかと迷いました……しかし結局お二人の前で申しあげるのが一番いいとおもいました。……本当は槍田さんにでもお願いするのがいいのかもしれません……けれども、そうお願いして万一僕の気持がそのまま現われないようなことがあると……苦しいことだと思ったものですから……どうか僕を信じてくださいまし。僕はどんな御返事をいただいても……それは十分に覚悟しています……」
そういいだしてみると、今度は言っておきたいことが後から後からと無限にあるように感じられた。どこまで行っても果てしがあろうとは思われなかった。園は少し自分に惘《あき》れてまた黙ってしまった。そして気がついて、手にしていた茶碗を茶托《ちゃたく》に戻した。
ややしばらく思案しているらしかった小母さんは、きゅうに居住ま
前へ
次へ
全64ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング