にお帰りなさるそうですのね」
「そういっていました」
園もまともにおぬいさんを見やりながら。
「だいじょうぶでしょうか」
「僕も心配に思っています」
この時園とおぬいさんとは生れて始めてのように深々と顔を見合わせた。二人は明かに一人の不幸な友の身の上を案じ合っているのを同情し合った。園はおぬいさんの顔に、そのほかのものを読むことができなかったが、おぬいさんには園がどう映《うつ》ったろうか。と不埒にも園の心があらぬ方に動きかけた時は、おぬいさんの眼はふたたび手紙の方へ向けられていた。園はまた自分の指先についている赤い薬料に眼を落した。
おぬいさんがだんだん興奮してゆく。きわめて薄手な色白の皮膚が斑《まだ》らに紅くなった。斑らに紅くなるのはある女性においては、きわめて醜《みにく》くそして淫《みだ》らだ。しかしある女性においては、赤子のほかに見出されないような初々《ういうい》しさを染めだす。おぬいさんのそれはもとより後者だった。高低のある積雪の面に照り映えた夕照のように。
読み終ると、おぬいさんは折れていたところで手紙を前どおりに二つに折って、それを掌の間に挾んでしばらくの間膝の上に乗せて伏眼になっていたが、やがて封筒に添《そ》えてそれを机の上に戻した。そして両手で火照《ほて》った顔をしっかりと押えた。互に寄せ合った肘《ひじ》がその人の肩をこの上なく優しい向い合せの曲線にした。
園はおぬいさんのいうままに星野の手紙を読まねばならなかった。
[#ここから1字下げ]
「前略この手紙を園君に託してお届けいたし候《そうろう》連日の乾燥のあまりにや健康思わしからず一昨日は続けて喀血《かっけつ》いたし候ようの始末につき今日は英語の稽古《けいこ》休みにいたしたくあしからず御容赦《ごようしゃ》くださるべく候なお明日は健康のいかんを問わず発足して帰省いたすべき用事これあり滞在日数のほども不定に候えば今後の稽古もいつにあいなるべきやこれまた不定と思召さるべく候ついては後々の事園君に依頼しおき候えば同君につきせいぜい御勉強しかるべくと存じ候同君は御承知のとおり小生会心の一友年来起居をともにしその性格学殖は貴女においても御知悉《ごちしつ》のはず小生ごときひねくれ者の企図して及びえざるいくたの長所あれば貴女にとりても好箇の畏友《いゆう》たるべく候(この辺まで進んだ時、おぬいさんが眼を挙げ
前へ
次へ
全128ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング