体は強い細かい空気の震動で四方から押さえつけられた。また打つ……また打つ……ちょうど十一。十一を打ちきるとあとにはまた歯車のきしむ音がしばらく続いて、それから元どおりな規則正しい音に還《かえ》った。
 あまりの厳粛《げんしゅく》さに園はしばらく茫然《ぼうぜん》[#「茫然」は底本では「范然」]としていた。明治三十三年五月四日の午前十一時、――その時間は永劫《えいごう》の前にもなければ永劫の後にもない――が現われながら消えていく……園は時間というものをこれほどまじまじと見つめたことはなかった。
 心から後悔して園は詩集を伏せてしまった。この学校に学ぶようになってからも、園には別れがたい文学への憧憬《どうけい》があった。捨てよう捨てようと思いながら、今までずるずるとそれに引きずられていた。一事に没頭しきらなければすまない。一人の科学者に詩の要はない。科学を詩としよう。歌としよう。園は読みなれた詩集を燔牲《はんせい》のごとくに機械室の梁の上に残したまま、足場の悪い階子段を静かに下りた。
 “Magna est veritas,et praevalebit.”
 その夜彼はこの鐘銘の意味をはっきり知った。いい言葉だと思った。「真理は大能なり、真理は支配せん」と訳してみた。一人の科学者にとってはこれ以上に尊《とおと》い箴言《しんげん》はない。そして科学者として立とうとしている以上、今後は文学などに未練を繋《つな》ぐ姑息《こそく》を自分に許すまいと決心したのだった。
     *    *    *
 札幌に来る時、母が餞別《せんべつ》にくれた小形の銀時計を出してみると四時半近くになっていた。その時計はよく狂うので、あまりあてにはならなかったけれど、反射鏡をいかに調節してみても、クロモゾームの配列の具合がしっかりとは見極められないので、およその時間はわかった。園は未練を残しながら顕微鏡の上にベル・グラスを被せた。いつの間にか助手も学生も研究室にはいなかった。夕闇が処まだらに部屋の中には漂っていた。
 三年近く被り慣れた大黒帽を被り、少しだぶだぶな焦茶色の出来合い外套《がいとう》を着こむともうすることはなかった。廊下に出ると動物学の方の野村教授が、外套の衣嚢《かくし》の辺で癖のように両手を拭きながら自分の研究室から出てくるのに遇《あ》った。教授は不似合な山高帽子を丁寧《ていねい》に
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