考えた。
「俺は世話を焼くのも嫌いだ。世話を焼かれるのも嫌いだ。……俺はエゴイストに違いない。ところが俺のエゴイズムは、俺の頭が少し優れているというところから来ていると誰もが考えそうなことだが、そんな浅薄なものではないんだ。たとえ頭は少しは優れていようとも、俺は貧乏でしかも死病に取りつかれているんだから、喜んで世話を焼いてもらう資格は十分にあるんだ。それにもかかわらず、俺は世話を焼かれるのはいやだ。……俺はもっと自然に近くありたいのだ。自然は俺をこんなに生みつけた、こんなに病気にした。しかもそれは自然の知ったことじゃないんだ。自然というものは心憎い姿を持っている」
 清逸はどんどん流れてゆく河の水を見つめながらこんなことを考えた。そしてそのとたん、気がついたように眼をあげてあたりを眺めまわした。実際清逸に見やられる自然は、清逸とは何んのかかわりもないもののように、ただ忙がしく夜につながろうとしていた。河は思い存分に流れていた。空は思い存分に暗くなりまさっていた。木の葉は思い存分に散っていた。枯枝は思い存分に強直していた。その間には何らの連絡もないもののように。清逸は深い淋しさを感じた。同時に強いいさぎよさを感じた。長く立ちつづけていた彼の足は少ししびれて、感覚を失うほど冷えこんでいた。それに反してその頭は勇ましい興奮をもって熱していた。
 昂奮《こうふん》が崇《たた》ったのか、寒い夜気がこたえたのか、帰途につこうとしていた清逸はいきなり激しい咳に襲われだした。喀血《かっけつ》の習慣を得てから咳は彼には大禁物だった。死の脅《おびやか》しがすぐ彼には感ぜられた。彼はほとんど衝動的にその場にうずくまって、胸をかがめて、膝頭に押しつけるようにして、なるべく軽く咳をせこうと勉《つと》めたが、胸の中から破裂するようにつきあげてくる力には容易に勝てないで、二三十度も続けさまに重い気息《いき》をはげしく吐きださねばならなかった。一度血管が破れたら、そこからどれほどの血が流れでるか、それは誰も知ることができない。もし四合五合という血が出たら、それで命は彼からやすやすと離れていくのだ。清逸は喀血のたびごとにそれをもの凄く感ぜねばならなかった。
「兄さんでねえか」
 道の方から木叢《こむら》ごしにこう呼びかける弟の声がした。清逸は面倒なところで嗅ぎつけられたと思って、もちろん答えることも
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