いてたくさんの頭が現われ出て、だんだん近づいて来ました。
「こわうござんす、ママ、ほんとうにこわい」
と子どもが申します。
「偉大《いだい》なめぐみ深い神様、私どもにあわれみを垂《た》れさせたまえ」
とおかあさんは道のわきに行って、草むらと草むらとの間の沼《ぬま》の中へ身を伏《ふ》せて心の底からいのりました。
その時ひびきを立てて、海から大風が来て森の中をふきぬけました。この大きな神風にあっては森の中の木という木はみななびき伏しました。その中で一本のわかい松も幹《みき》をたわめて、寄るべないこのおかあさんの耳に木のこずえが何かささやきました。しかしておかあさんがむすめを抱かないほうの手を延ばしてその枝をつかむと、松はみずから立ちなおって、うれいにしずむおかあさんを沢《さわ》の中から救い上げてくれました。
その時霧はふきはらわれて、太陽はまた照り始めました。しかして二人は第四の門に近づきました。途中で帽子を落として来たおかあさんは、髪の毛で子どもの涙をぬぐってやりますと、子どもはうれしげにほおえみました。そのほおえみがまたあわれなおかあさんの心をなぐさめて、今までの苦しみをわすれて第五の門に着くほどの力が出てきました。ここまで来るともう気が確かになりました。なぜというと、向こうには赤い屋根と旗《はた》が見えますし、道の両側には白あじさいと野薔薇《のばら》が恋でもしているように二つずつならんで植わっていましたから。
むすめもひとりで歩けました。しかして手かごいっぱいに花を摘《つ》み入れました。聖ヨハネ祭の夜宮には人形のリザが、その花の中でいい夢《ゆめ》を見てねむるんです。
こんなふうにおもしろく、二人は苦労もわすれて歩きました。もう赤楊《はんのき》の林さえぬければ、「日の村」へ着くはずでした。やがて二人は丘《おか》を登って右に曲がろうとすると、そこにまた雄牛が一匹立っているのに出会いました。
にげる事もかないません。くずおれておかあさんはひざをつき、子どもをねかしてその上を守るように自分の頭を垂れますと、長い毛が黒いベールのように垂れ下がりました。
しかして両手をさし出してだまったなりでいのりました。子どもの額からは苦悶《くもん》の汗が血のしたたりのように土の上に落ちました。
「神様、私の命をおめしになるとも、この子の命だけはお助けください」
といのる
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