は、ただ私の感謝を受取って貰いたいという事だけだ。お前たちが一人前に育ち上った時、私は死んでいるかも知れない。一生懸命に働いているかも知れない。老衰して物の役に立たないようになっているかも知れない。然し何《いず》れの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩《わずら》わされていてはならない。斃れた親を喰《く》い尽して力を貯える獅子《しし》の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。
今時計は夜中を過ぎて一時十五分を指している。しんと静まった夜の沈黙の中にお前たちの平和な寝息だけが幽《かす》かにこの部屋に聞こえて来る。私の眼の前にはお前たちの叔母が母上にとて贈られた薔薇《ばら》の花が写真の前に置かれている。それにつけて思い出すのは私があの写真を撮《と》ってやった時だ。その時お前たちの中に一番年たけたものが母上の胎に宿っていた。母上は自分でも分らない不思議な望みと恐れとで始終心をなやましていた。その頃の母上は殊に美しかった。希臘《ギリシャ》の母の真似《まね》だといって、部屋の中にいい肖像を
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