前たちが元気よく私に朝の挨拶《あいさつ》をしてから、母上の写真の前に駈けて行って、「ママちゃん御機嫌《ごきげん》よう」と快活に叫ぶ瞬間ほど、私の心の底までぐざと刮《えぐ》り通す瞬間はない。私はその時、ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として無劫《むごう》の世界を眼前に見る。
世の中の人は私の述懐を馬鹿々々しいと思うに違いない。何故なら妻の死とはそこにもここにも倦《あ》きはてる程|夥《おびただ》しくある事柄の一つに過ぎないからだ。そんな事を重大視する程世の中の人は閑散でない。それは確かにそうだ。然しそれにもかかわらず、私といわず、お前たちも行く行くは母上の死を何物にも代えがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ。世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。それは恥ずべきことじゃない。私たちはそのありがちの事柄の中からも人生の淋しさに深くぶつか[#「ぶつか」に傍点]ってみることが出来る。小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。それは心一つだ。
何しろお前たちは見るに痛ましい人生の芽生《めば》えだ。泣くにつけ、笑うにつけ、面白がるにつけ淋しがるにつけ、お前たちを見
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