は、その人の生活全部が純粋な芸術境に没入している人で、その人の実生活は、周囲とどんな間隔があろうと、いっこうそれを気にしない。そうして自己独得の芸術的感興を表現することに全精力を傾倒するところの人だ。もし、現在の作家の中に、例を引いてみるならば、泉鏡花《いずみきょうか》氏のごときがその人ではないだろうか。第二の人は、芸術と自分の実生活との間に、思いをさまよわせずにはいられないたちの人である。自分の芸術に没入することは、第一の人のようにあることはどうしてもできない。自分の実生活と周囲の実生活との間に或る合理的な関係をつくらなければ、その芸術すら生み出すことができないと感ずる種類の人である。第三の種類に属する人は、自分の芸術を実生活の便宜に用いようとする人である。その人の実生活は周囲の実生活と必ずしも合理的な関係にある必要はない。とにかく自分の現在の生活が都合よくはこびうるならば、ブルジョアのために、気焔《きえん》も吐こうし、プロレタリアのために、提灯《ちょうちん》も持とうという種類の人である。そしてその人の芸術は、当代でいえば、その人をプティ・ブルジョアにでも仕上げてくれれば、それで目的
前へ
次へ
全12ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング