化を築こうという人は立ち上がらねばならぬ。同時に、その文化の出現を信ずる者にして、躬《み》ずからがその文化と異なった生活をしていることを発見した者は、たといどれほど自分が拠《よ》ってもって生活した生活の利点に沐浴《もくよく》しているとしても、新しい文化の建立に対する指導者、教育者をもってみずから任ずべきではなく、自分の思想的立場を納得して、謹んでその立場にあることをもって満足しなければならない。もし誤って無思慮にも自分の埓《らち》を越えて、差し出たことをするならば、その人は純粋なるべき思想の世界を、不必要なる差し出口をもって混濁し、なんらかの意味において実際上の事の進捗《しんちょく》をも阻礙《そがい》するの結果になるだろう」と。この立場からして私は何といっても、自分がブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である以上、濫《みだ》りに他の階級の人に訴えるような芸術を心がけることの危険を感じ、自分の立場を明らかにしておく必要を見るに至ったものだ。そう考えるのが窮屈だというなら、私は自分の態度の窮屈に甘んじようとする者だ。
 私のいった第一の種類に属する芸術家は階級意識に超越しているから、私の提起した問題などはもとより念頭にあろうはずがない。その人たちにとっては、私の提議は半顧の価値もなかるべきはずのものだ。私はそれほどまでに真に純粋に芸術に没頭しうる芸術家を尊もう。私はある主義者たちのように、そういう人たちを頭から愚物視することはできない。かかる人はいかなる時代にも人間全体によっていたわられねばならぬ特種の人である。しかし第二の種類に属する芸術家である以上は、私のごとく考えるのは不当ではなく、傲慢《ごうまん》なことでもなく、謙遜《けんそん》なことでもなく、爾《し》かあるべきことだと私は信じている。広津氏は私の所言に対して容喙《ようかい》された。容喙された以上は私の所言に対して関心を持たれたに相違ない。関心を持たれる以上は、氏の評論家としての素質は私のいう第一の種類に属する芸術家のようであることはできないのだ。氏は明らかに私のいう第二か第三かの芸術家的素質のうちのいずれかに属することをみずから証明していられるのだ。しかもその所説は、私の見る所が誤っていないなら、第一の種類に属する芸術家でも主張しそうなことを主張していられる。もし第一の種類に属する芸術家がそれを主張するような
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング