それを見ると、
「そうそうそうやっておとなにお遊びなさいよ。婆やは八っちゃんのおちゃんちゃんを急いで縫い上《あげ》ますからね」
 といいながら、せっせと縫物《ぬいもの》をはじめた。
 僕はその時、白い石で兎《うさぎ》を、黒い石で亀《かめ》を作ろうとした。亀の方は出来たけれども、兎の方はあんまり大きく作ったので、片方の耳の先きが足りなかった。もう十ほどあればうまく出来上るんだけれども、八っちゃんが持っていってしまったんだから仕方がない。
「八っちゃん十だけ白い石くれない?」
 といおうとしてふっと八っちゃんの方に顔を向けたが、縁側の方を向《むい》て碁石をおもちゃにしている八っちゃんを見たら、口をきくのが変になった。今喧嘩したばかりだから、僕から何かいい出してはいけなかった。だから仕方なしに僕は兎をくずしてしまって、もう少し小さく作りなおそうとした。でもそうすると亀の方が大きくなり過《すぎ》て、兎が居眠りしないでも亀の方が駈《かけ》っこに勝《かち》そうだった。だから困っちゃった。
 僕はどうしても八っちゃんに足らない碁石をくれろといいたくなった。八っちゃんはまだ三つですぐ忘れるから、そういったら先刻《さっき》のように丸い握拳だけうんと手を延ばしてくれるかもしれないと思った。
「八っちゃん」
 といおうとして僕はその方を見た。
 そうしたら八っちゃんは婆やのお尻の所で遊んでいたが真赤《まっか》な顔になって、眼に一杯涙をためて、口を大きく開いて、手と足とを一生懸命にばたばたと動かしていた。僕は始め清正公様《せいしょうこうさま》にいるかったいの乞食《こじき》がお金をねだる真似《まね》をしているのかと思った。それでもあのおしゃべりの八っちゃんが口をきかないのが変だった。おまけに見ていると、両手を口のところにもって行って、無理に口の中に入れようとしたりした。何んだかふざけているのではなく、本気の本気らしくなって来た。しまいには眼を白くしたり黒くしたりして、げえげえと吐《は》きはじめた。
 僕は気味が悪くなって来た。八っちゃんが急に怖《こ》わい病気になったんだと思い出した。僕は大きな声で、
「婆や……婆や……八っちゃんが病気になったよう」
 と怒鳴《どな》ってしまった。そうしたら婆やはすぐ自分のお尻の方をふり向いたが、八っちゃんの肩に手をかけて自分の方に向けて、急に慌《あわ》てて後《うしろ》から八っちゃんを抱いて、
「あら八っちゃんどうしたんです。口をあけて御覧《ごらん》なさい。口をですよ。こっちを、明《あかる》い方を向いて……ああ碁石を呑んだじゃないの」
 というと、握り拳をかためて、八っちゃんの脊中を続けさまにたたきつけた。
「さあ、かーっといってお吐きなさい……それもう一度……どうしようねえ……八っちゃん、吐くんですよう」
 婆やは八っちゃんをかっきり膝の上に抱き上げてまた脊中をたたいた。僕はいつ来たとも知らぬ中《うち》に婆やの側に来て立ったままで八っちゃんの顔を見下《みおろ》していた。八っちゃんの顔は血が出るほど紅《あか》くなっていた。婆やはどもりながら、
「兄さんあなた、早くいって水を一杯……」
 僕は皆まで聞かずに縁側に飛び出して台所の方に駈《か》けて行った。水を飲ませさえすれば八っちゃんの病気はなおるにちがいないと思った。そうしたら婆やが後《うしろ》からまた呼びかけた。
「兄さん水は……早くお母さんの所にいって、早く来て下さいと……」
 僕は台所の方に行くのをやめて、今度は一生懸命でお茶の間の方に走った。
 お母さんも障子を明けはなして日なたぼっこをしながら静かに縫物をしていらしった。その側《そば》で鉄瓶《てつびん》のお湯がいい音をたてて煮えていた。
 僕にはそこがそんなに静かなのが変に思えた。八っちゃんの病気はもうなおっているのかも知れないと思った。けれども心の中《うち》は駈けっこをしている時見たいにどきんどきんしていて、うまく口がきけなかった。
「お母さん……お母さん……八っちゃんがね……こうやっているんですよ……婆やが早く来てって」
 といって八っちゃんのしたとおりの真似《まね》を立ちながらして見せた。お母さんは少しだるそうな眼をして、にこにこしながら僕を見たが、僕を見ると急に二つに折っていた背中を真直《まっすぐ》になさった。
「八っちゃんがどうかしたの」
 僕は一生懸命|真面目《まじめ》になって、
「うん」
 と思い切り頭を前の方にこくりとやった。
「うん……八っちゃんがこうやって……病気になったの」
 僕はもう一度前と同じ真似をした。お母さんは僕を見ていて思わず笑おうとなさったが、すぐ心配そうな顔になって、大急ぎで頭にさしていた針を抜いて針さしにさして、慌《あわ》てて立ち上って、前かけの糸くずを両手ではたきながら、僕の
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