つた。堤の壞れた所を物の五十間ほども土俵で喰ひ留めた、その土俵の藁は半ば土になつて、畑中に盛り上つた砂の間からは、所々に一かたまりになつて、大根の花が薄紫に咲き出て居た。彼れはこの小さな徴《しるし》にも自然の力の大きさと強さとを感受した。而して彼れは今更のやうに立停つてあたりを見まはした。百姓の捨てた畑の砂の上には、怒り狂つた川浪の姿が去年のまゝに殘つてゐた。その浪がこの邊に住んでゐた百姓の一人息子を容赦なく避難の小舟から奪ひ去つたのだ。沈澱した砂は片栗粉のやうにぎつしり[#「ぎつしり」に傍点]と堆積して雜草も生えて居なかつた。何んにも知らないやうな顏をしてゐる。今まで親しみ慣れた自然とは大分違つた感じが彼れの胸を打つた。
固より彼れは自然とも戰ふべきものだと云ふ事を忘れてゐたのではない。然し彼れは人間と自然とを離して考へてゐた。人間の理解から孤獨となる事が自然と離縁する事にもなるとは思はなかつた。彼れはその瞬間まで人間から失つた所を自然から補はせる事が出來ると思ひ込んでゐたのだ。
彼れはそこに立つてあたりを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしたが、人の姿は何處にも見當
前へ
次へ
全10ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング