幻想
有島武郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)閉《しま》つた
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしたが、
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ざわ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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彼れはある大望を持つてゐた。
生れてから十三四年の無醒覺な時代を除いては、春秋を迎へ送つてゐる中に、その不思議な心の誘惑は、元來人なつこく出來た彼れを引きずつて、段々思ひもよらぬ孤獨の道に這入りこました。ふと身のまはりを見返へる時、自分ながら驚いたり、懼れたりするやうな事が起つてゐるのを發見した。今のこの生活――この生活一つが彼れの生くべき唯一の生活であると思ふと、大望に引きまはされて、移り變つて行く己れ自身を危ぶんで見ないではゐられないやうな事もあつた。根も葉もない幻想の翫弄物になつて腐り果てる自分ではないか。生活の不充實から來る倦怠を辛うじて逃げる卑劣な手段として、自分でも氣付かずに、何時の間にか我れから案じ出した苦肉の策が、所謂彼れの大望なるものではないか。さう云ふ風な大望を眞額にふりかざして、平氣な顏をしてゐる輩は、いくらでもそこらにごろ[#「ごろ」に傍点]/\してゐるではないか。かすかながらこんな反省が彼れをなやます事は稀れではなかつた。
それにも係らず大望は彼れを捨てなかつた。彼れも大望が一番大切だつた。自分の生活が支離滅裂だと批難をされる時でも、大望を圓心にして輪を描いて見ると、自分の生活は何時でもその輪の外に出てゐる事はなかつた。さう云ふ事に氣がつくと急に勇ましくなつて、喜んで彼れは孤獨を迎へた。彼れは柔順になればなる程、親からも兄弟からも離れて行つた。妻や友人が自分を理解するしないと云ふやうな事は、てんで問題にならなくなつた。彼れ自身の他人に對する理解のなさ加減から考へると、他人の理解を期待すると云ふやうな事が卑劣極つた事に思はれた。段々と失つて來てゐた心の自由を、段々と囘復して行く滿足は、外に較べるものがなかつた。
空は薄曇つたまゝで、三日の間はつきり[#「はつきり」に傍点]した日の目を見せなかつたから、今日あたりは秋雨のや
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