馬車が来たとか今小児が万歳をやっているとか、美しい着物の坊様《ぼうさま》が見えたとか、背《せい》の高い武士が歩いて来るとか、詩人がお祝いの詩を声ほがらかに読み上げているとか、むすめの群れがおどりながら現われたとか、およそ町に起こった事を一つ一つ手に取るように王子にお話をしてあげました。王子はだまったままで下を向いて聞いていらっしゃいます。やがて花よめ花むこが騎馬《きば》でお寺に乗りつけてたいそうさかんな式がありました。その花むこの雄々《おお》しかった事、花よめの美しかった事は燕の早口でも申しつくせませんかった。
天気のよい秋びよりは日がくれると急に寒くなるものです。さすがににぎやかだった御婚礼が済みますと、町はまたもとのとおりに静かになって夜がしだいにふけてきました。燕は目をきょろきょろさせながら羽根を幾度《いくど》か組み合わせ直して頸《くび》をちぢこめてみましたが、なかなかこらえきれない寒さで寝《ね》つかれません。まんじりともしないで東の空がぼうっとうすむらさきになったころ見ますと屋根の上には一面に白いきらきらしたものがしいてあります。
燕はおどろいてその由を王子に申しますと、王子もたいそうおおどろきになって、
「それは霜《しも》というもので――霜と言う声を聞くと燕は葦《あし》の言った事を思い出してぎょっとしました。葦はなんと言ったか覚えていますか――冬の来た証拠《しょうこ》だ、まあ自分とした事が自分の事にばかり取りまぎれていておまえの事を思わなかったのはじつに不埒《ふらち》であった。長々御世話になってありがたかったがもう私もこの世には用のないからだになったからナイルの方に一日も早く帰ってくれ。かれこれするうちに冬になるととてもおまえの生命は続かないから」
としみじみおっしゃいました。燕はなんでいまさら王子をふりすてて行かれましょう。たとえこごえ死にに死にはするともここ一足《ひとあし》も動きませんと殊勝《しゅしょう》な事を申しましたが、王子は、
「そんなわからずやを言うものではない。おまえが今年《ことし》死ねばおまえと私の会えるのは今年限り。今日ナイルに帰ってまた来年おいで。そうすれば来年またここで会えるから」
と事をわけて言い聞かせてくださいました。燕はそれもそうだ、
「そんなら王子様来年またお会い申しますから御無事でいらっしゃいまし。お目が御不自由で私のいないために、なおさらの御不自由でしょうが、来年はきっとたくさんのお話を持って参りますから」
と燕は泣く泣く南の方へと朝晴れの空を急ぎました。このまめまめしい心よしの友だちがあたたかい南国へ羽をのして行くすがたのなごりも王子は見る事もおできなさらず、おいたわしいお首《つむり》をお下げなすったままうすら寒い風の中にひとり立っておいででした。
さてそのうちに日もたって冬はようやく寒くなり雪だるまのできる雪がちらちらとふりだしますと、もうクリスマスには間もありません。欲張りもけちんぼうも年寄りも病人もこのころばかりは晴れ晴れとなって子どものようになりますので、かしげがちの首もまっすぐに、下向きがちの顔も空を見るようになるのがこのごろです。で、往来の人は長々見わすれていた黄金の王子はどうしていられる事かとふりあおぎますと、おどろくまい事かすき通るほど光ってござった王子はまるで癩病《らいびょう》やみのように真黒《まっくろ》で、目は両方ともひたとつぶれてござらっしゃります。
「なんだこのぶざまは、町のまん中にこんなものは置いて置けやしない」
と一人が申しますと、
「ほんとうだ、クリスマス前にこわしてしまおうじゃないか」
と一人がほざきます。
「生きてるうちにこの王子は悪い事をしたにちがいない。それだからこそ死んだあとでこのざまになるんだ」とまた一人がさけびます。
「こわせこわせ」
「たたきこわせたたきこわせ」
という声がやがてあちらからもこちらからも起こって、しまいには一人が石をなげますと一人はかわらをぶつける。とうとう一かたまりのわかい者がなわとはしごを持って来てなわを王子の頸にかけるとみんなで寄ってたかってえいえい引っぱったものですから、さしもに堅固《けんご》な王子の立像も無惨《むざん》な事には礎《いしずえ》をはなれてころび落ちてしまいました。
ほんとうにかわいそうな御最期《ごさいご》です。
かくて王子のからだは一か月ほど地の上に横になってありましたが、町の人々は相談してああして置いてもなんの役にもたたないからというのでそれをとかして一つの鐘《かね》を造ってお寺の二階に収める事にしました。
その次の年あの燕がはるばるナイルから来て王子をたずねまわりましたけれども影《かげ》も形もありませんかった。
しかし今でもこの町に行く人があれば春でも夏でも秋でも冬でも
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