けの理解を有し得ない常人が、最も強く運命に力強い反抗を企てなければならぬ筈だ。生の絶対権を主張せねばならぬ筈だ。
然るに事実は全く反対の相を呈してゐる。我等の中優れたもの程──運命の企てを知り抜いてゐると思はれる癖に──死に打勝たんとする一念に熱中してゐるやうに見える。
○
「主よ、死の杯を我れより放ち給へ」といつた基督の言葉は凡ての優れた人々の魂の号叫を代表する。四苦を見て永生への道を思ひ立つた釈迦は凡ての思慮ある人々の心の発奮を表象する。運命の目論見に最も明らかなるべき彼等のこの態度を我等は痴人の閑葛藤として一笑に附し去る事が出来ないだらう。
○
死への諦めを教へずして生への精進を教へた彼等の心を我等は如何考へねばならぬのか。
○
こゝまで来て我等は、仮相からもう一段深く潜り込んで見ねばならぬ。
私は死への諦めを教へずして生への精進と云つた。それは然し本統はさうではない。彼等の最後の宣告はその徹底した意味に於て死への諦めを教へたのではない、生への諦めを教へたのだ。生への精進を教へたのではない、死への精進を教へたのだ。さう私は云はねば
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