こっちにお出《い》で」と肱《ひじ》の所を掴《つか》まれていました。僕の胸は宿題をなまけたのに先生に名を指《さ》された時のように、思わずどきんと震えはじめました。けれども僕は出来るだけ知らない振りをしていなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場《うんどうば》の隅《すみ》に連れて行かれました。
「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給《たま》え。」
 そういってその生徒は僕の前に大きく拡《ひろ》げた手をつき出しました。そういわれると僕はかえって心が落着いて、
「そんなもの、僕持ってやしない。」と、ついでたらめをいってしまいました。そうすると三四人の友達と一緒に僕の側《そば》に来ていたジムが、
「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失《な》くなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」と少し言葉を震わしながら言いかえしました。
 僕はもう駄目《だめ》だと思うと急に頭の中に血が流れこんで来て顔が真赤《まっか》になったようでした。すると誰だったかそこに立
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