いらいらするほど待ちに待たれた。品川台場《しながわだいば》沖あたりで打ち出す祝砲がかすかに腹にこたえるように響いて、子供らは往来でそのころしきりにはやった南京花火《なんきんはなび》をぱち[#「ぱち」に傍点]ぱちと鳴らしていた。天気がいいので女中たちははしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]きった冗談などを言い言いあらゆる部屋《へや》を明け放して、仰山《ぎょうさん》らしくはたきや箒《ほうき》の音を立てた。そしてただ一人《ひとり》この旅館では居残っているらしい葉子の部屋を掃除《そうじ》せずに、いきなり[#「いきなり」に傍点]縁側にぞうきんをかけたりした。それが出て行けがしの仕打ちのように葉子には思えば思われた。
 「どこか掃除の済んだ部屋があるんでしょう。しばらくそこを貸してくださいな。そしてここもきれいにしてちょうだい。部屋の掃除もしないでぞうきんがけなぞしたってなんにもなりはしないわ」
 と少し剣《けん》を持たせていってやると、けさ来たのとは違う、横浜生まれらしい、悪《わる》ずれのした中年の女中は、始めて縁側から立ち上がって小めんどうそうに葉子を畳廊下一つを隔てた隣の部屋に案内した。
 けさま
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