を得た口をきいた。
 「古藤さんが時々来てくださるの?」
 と聞いてみると、貞世は不平らしく、
 「いゝえ、ちっとも」
 「ではお手紙は?」
 「来てよ、ねえ愛ねえさま。二人の所に同じくらいずつ来ますわ」
 と、愛子は控え目らしくほほえみながら上目越《うわめご》しに貞世を見て、
 「貞《さあ》ちゃんのほうに余計来るくせに」
 となんでもない事で争ったりした。愛子は姉に向かって、
 「塾《じゅく》に入れてくださると古藤さんが私たちに、もうこれ以上私のして上げる事はないと思うから、用がなければ来ません。その代わり用があったらいつでもそういっておよこしなさいとおっしゃったきりいらっしゃいませんのよ。そうしてこちらでも古藤さんにお願いするような用はなんにもないんですもの」
 といった。葉子はそれを聞いてほほえみながら古藤が二人を塾につれて行った時の様子を想像してみた。例のようにどこの玄関番かと思われる風体《ふうてい》をして、髪を刈る時のほか剃《す》らない顎《あご》ひげを一二|分《ぶ》ほども延ばして、頑丈《がんじょう》な容貌《ようぼう》や体格に不似合いなはにかんだ口つきで、田島という、男のような女学者と話をしている様子が見えるようだった。
 しばらくそんな表面的なうわさ話などに時を過ごしていたが、いつまでもそうはしていられない事を葉子は知っていた。この年齢《とし》の違った二人《ふたり》の妹に、どっちにも堪念《たんねん》の行くように今の自分の立場を話して聞かせて、悪い結果をその幼い心に残さないようにしむけるのはさすがに容易な事ではなかった。葉子は先刻からしきりにそれを案じていたのだ。
 「これでも召し上がれ」
 食事が済んでから葉子は米国から持って来たキャンディーを二人の前に置いて、自分は煙草《たばこ》を吸った。貞世は目を丸くして姉のする事を見やっていた。
 「ねえさまそんなもの吸っていいの?」
 と会釈なく尋ねた。愛子も不思議そうな顔をしていた。
 「えゝこんな悪い癖がついてしまったの。けれどもねえさんにはあなた方《がた》の考えてもみられないような心配な事や困る事があるものだから、つい憂《う》さ晴らしにこんな事も覚えてしまったの。今夜はあなた方《がた》にわかるようにねえさんが話して上げてみるから、よく聞いてちょうだいよ」
 倉地の胸に抱かれながら、酔いしれたようにその頑丈《がんじょう》な、日に焼けた、男性的な顔を見やる葉子の、乙女《おとめ》というよりももっと子供らしい様子は、二人《ふたり》の妹を前に置いてきちん[#「きちん」に傍点]と居ずまいを正した葉子のどこにも見いだされなかった。その姿は三十前後の、充分分別のある、しっかり[#「しっかり」に傍点]した一人《ひとり》の女性を思わせた。貞世もそういう時の姉に対する手心《てごころ》を心得ていて、葉子から離れてまじめにすわり直した。こんな時うっかり[#「うっかり」に傍点]その威厳を冒すような事でもすると、貞世にでもだれにでも葉子は少しの容赦もしなかった。しかし見た所はいかにも慇懃《いんぎん》に口を開いた。
 「わたしが木村さんの所にお嫁に行くようになったのはよく知ってますね。米国に出かけるようになったのもそのためだったのだけれどもね、もともと木村さんは私のように一度先にお嫁入りした人をもらうような方《かた》ではなかったんだしするから、ほんとうはわたしどうしても心は進まなかったんですよ。でも約束だからちゃん[#「ちゃん」に傍点]と守って行くには行ったの。けれどもね先方《むこう》に着いてみるとわたしのからだの具合がどうもよくなくって上陸はとてもできなかったからしかたなしにまた同じ船で帰るようになったの。木村さんはどこまでもわたしをお嫁にしてくださるつもりだから、わたしもその気ではいるのだけれども、病気ではしかたがないでしょう。それに恥ずかしい事を打ち明けるようだけれども、木村さんにもわたしにも有り余るようなお金がないものだから、行きも帰りもその船の事務長という大切な役目の方《かた》にお世話にならなければならなかったのよ。その方《かた》が御親切にもわたしをここまで連れて帰ってくださったばかりで、もう一度あなた方《がた》にもあう事ができたんだから、わたしはその倉地という方《かた》――倉はお倉の倉で、地は地球の地と書くの。三吉というお名前は貞《さあ》ちゃんにもわかるでしょう――その倉地さんにはほんとうにお礼の申しようもないくらいなんですよ。愛さんなんかはその方《かた》の事で叔母《おば》さんなんぞからいろいろな事を聞かされて、ねえさんを疑っていやしないかと思うけれども、それにはまたそれでめんどうなわけのある事なのだから、夢にも人のいう事なんぞをそのまま受け取ってもらっちゃ困りますよ。ねえさんを信じておく
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