にはっきり[#「はっきり」に傍点]ああ受け答えができるのは葉子にも意外だった。葉子は思わず愛子を見た。
「はて、どこでね」
倉地もいぶかしげにこう問い返した。愛子は下を向いたまま口をつぐんでしまった。そこにはかすかながら憎悪《ぞうお》の影がひらめいて過ぎたようだった。葉子はそれを見のがさなかった。
「寝顔を見せた時にやはり彼女《あれ》は目をさましていたのだな。それをいうのかしらん」
とも思った。倉地の顔にも思いかけずちょっとどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]したらしい表情が浮かんだのを葉子は見た。
「なあに……」激しく葉子は自分で自分を打ち消した。
貞世は無邪気にも、この熊《くま》のような大きな男が親しみやすい遊び相手と見て取ったらしい。貞世がその日学校で見聞きして来た事などを例のとおり残らず姉に報告しようと、なんでも構わず、なんでも隠さず、いってのけるのに倉地が興に入って合槌《あいづち》を打つので、ここに移って来てから客の味を全く忘れていた貞世はうれしがって倉地を相手にしようとした。倉地はさんざん貞世と戯れて、昼近く立って行った。
葉子は朝食がおそかったからといって、妹たちだけが昼食の膳《ぜん》についた。
「倉地さんは今、ある会社をお立てになるのでいろいろ御相談事があるのだけれども、下宿ではまわりがやかましくって困るとおっしゃるから、これからいつでもここで御用をなさるようにいったから、きっとこれからもちょく[#「ちょく」に傍点]ちょくいらっしゃるだろうが、貞《さあ》ちゃん、きょうのように遊びのお相手にばかりしていてはだめよ。その代わり英語なんぞでわからない事があったらなんでもお聞きするといい、ねえさんよりいろいろの事をよく知っていらっしゃるから……それから愛さんは、これから倉地さんのお客様も見えるだろうから、そんな時には一々ねえさんのさしずを待たないではきはきお世話をして上げるのよ」
と葉子はあらかじめ二人《ふたり》に釘《くぎ》をさした。
妹たちが食事を終わって二人であと始末をしているとまた玄関の格子《こうし》が静かにあく音がした。
貞世は葉子の所に飛んで来た。
「おねえ様またお客様よ。きょうはずいぶんたくさんいらっしゃるわね。だれでしょう」
と物珍しそうに玄関のほうに注意の耳をそばだてた。葉子もだれだろうといぶかった。ややしばらくして静かに案内を求める男の声がした。それを聞くと貞世は姉から離れて駆け出して行った。愛子が襷《たすき》をはずしながら台所から出て来た時分には、貞世はもう一枚の名刺を持って葉子の所に取って返していた。金縁《きんぶち》のついた高価らしい名刺の表には岡一《おかはじめ》と記《しる》してあった。
「まあ珍しい」
葉子は思わず声を立てて貞世と共に玄関に走り出た。そこには処女のように美しく小柄《こがら》な岡が雪のかかった傘《かさ》をつぼめて、外套《がいとう》のしたたりを紅《べに》をさしたように赤らんだ指の先ではじきながら、女のようにはにかんで立っていた。
「いい所でしょう。おいでには少しお寒かったかもしれないけれども、きょうはほんとにいいおりからでしたわ。隣に見えるのが有名な苔香園《たいこうえん》、あすこの森の中が紅葉館、この杉《すぎ》の森がわたし大好きですの。きょうは雪が積もってなおさらきれいですわ」
葉子は岡を二階に案内して、そこのガラス戸越しにあちこちの雪景色を誇りがに指呼《しこ》して見せた。岡は言葉|少《すく》なながら、ちかちかとまぶしい印象を目に残して、降り下り降りあおる雪の向こうに隠見する山内《さんない》の木立《こだ》ちの姿を嘆賞した。
「それにしてもどうしてあなたはここを……倉地から手紙でも行きましたか」
岡は神秘的にほほえんで葉子を顧みながら「いゝえ」といった。
「そりゃおかしい事……それではどうして」
縁側から座敷へ戻《もど》りながらおもむろに、
「お知らせがないもので上がってはきっといけないとは思いましたけれども、こんな雪の日ならお客もなかろうからひょっとか[#「ひょっとか」に傍点]すると会ってくださるかとも思って……」
そういういい出しで岡が語るところによれば、岡の従妹《いとこ》に当たる人が幽蘭女学校に通学していて、正月の学期から早月《さつき》という姉妹の美しい生徒が来て、それは芝山内の裏坂に美人屋敷といって界隈《かいわい》で有名な家の三人姉妹の中の二人であるという事や、一番の姉に当たる人が「報正新報」でうわさを立てられた優《すぐ》れた美貌《びぼう》の持ち主だという事やが、早くも口さがない生徒間の評判になっているのを何かのおりに話したのですぐ思い当たったけれども、一日一日と訪問を躊躇《ちゅうちょ》していたのだとの事だった。葉子は今さらに世間の案外
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