自分の座にすわると、貞世はその膝《ひざ》に突っ伏してすすり上げすすり上げ可憐《かれん》な背中に波を打たした。これほどまでに自分の帰りを待ちわびてもい、喜んでもくれるのかと思うと、骨肉《こつにく》の愛着からも、妹だけは少なくとも自分の掌握の中にあるとの満足からも、葉子はこの上なくうれしかった。しかし火鉢《ひばち》からはるか離れた向こう側に、うやうやしく居ずまいを正《ただ》して、愛子がひそひそと泣きながら、規則正しくおじぎをするのを見ると葉子はすぐ癪《しゃく》にさわった。どうして自分はこの妹に対して優しくする事ができないのだろうとは思いつつも、葉子は愛子の所作《しょさ》を見ると一々気にさわらないではいられないのだ。葉子の目は意地わるく剣《けん》を持って冷ややかに小柄で堅肥《かたぶと》りな愛子を激しく見すえた。
 「会いたてからつけ[#「つけ」に傍点]つけいうのもなんだけれども、なんですねえそのおじぎのしかたは、他人行儀らしい。もっと打ち解けてくれたっていいじゃないの」
 というと愛子は当惑したように黙ったまま目を上げて葉子を見た。その目はしかし恐れても恨んでもいるらしくはなかった。小羊のような、まつ毛の長い、形のいい大きな目が、涙に美しくぬれて夕月のようにぽっかり[#「ぽっかり」に傍点]とならんでいた。悲しい目つきのようだけれども、悲しいというのでもない。多恨な目だ。多情な目でさえあるかもしれない。そう皮肉な批評家らしく葉子は愛子の目を見て不快に思った。大多数の男はあんな目で見られると、この上なく詩的な霊的な一瞥《いちべつ》を受け取ったようにも思うのだろう。そんな事さえ素早《すばや》く考えの中につけ加えた。貞世が広い帯をして来ているのに、愛子が少し古びた袴《はかま》をはいているのさえさげすまれた。
 「そんな事はどうでもようござんすわ。さ、お夕飯にしましょうね」
 葉子はやがて自分の妄念《もうねん》をかき払うようにこういって、女中を呼んだ。
 貞世は寵児《ペット》らしくすっかりはしゃぎきっていた。二人《ふたり》が古藤につれられて始めて田島《たじま》の塾《じゅく》に行った時の様子から、田島先生が非常に二人《ふたり》をかわいがってくれる事から、部屋《へや》の事、食物の事、さすがに女の子らしく細かい事まで自分|一人《ひとり》の興に乗じて談《かた》り続けた。愛子も言葉少なに要領 
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