動をすぐ疳癪《かんしゃく》の種《たね》にする葉子も、その朝ばかりはかわいそうなくらいに思っていた。
「愛さんお喜び、貞《さあ》ちゃんの熱がとうとう七度台に下がってよ。ちょっと起きて来てごらん、それはいい顔をして寝ているから……静かにね」
「静かにね」といいながら葉子の声は妙にはずんで高かった。愛子は柔順に起き上がってそっ[#「そっ」に傍点]と蚊帳をくぐって出て、前を合わせながら寝台のそばに来た。
「ね?」
葉子は笑《え》みかまけて愛子にこう呼びかけた。
「でもなんだか、だいぶに蒼白《あおじろ》く見えますわね」
と愛子が静かにいうのを葉子はせわしく引ったくって、
「それは電燈の風呂敷《ふろしき》のせいだわ……それに熱が取れれば病人はみんな一度はかえって悪くなったように見えるものなのよ。ほんとうによかった。あなたも親身《しんみ》に世話してやったからよ」
そういって葉子は右手で愛子の肩をやさしく抱いた。そんな事を愛子にしたのは葉子としては始めてだった。愛子は恐れをなしたように身をすぼめた。
葉子はなんとなくじっ[#「じっ」に傍点]としてはいられなかった。子供らしく、早く貞世が目をさませばいいと思った。そうしたら熱の下がったのを知らせて喜ばせてやるのにと思った。しかしさすがにその小さな眠りを揺《ゆ》りさます事はし得ないで、しきりと部屋《へや》の中を片づけ始めた。愛子が注意の上に注意をしてこそ[#「こそ」に傍点]との音もさせまいと気をつかっているのに、葉子がわざとするかとも思われるほど騒々《そうぞう》しく働くさまは、日ごろとはまるで反対だった。愛子は時々不思議そうな目つきをしてそっ[#「そっ」に傍点]と葉子の挙動を注意した。
そのうちに夜がどんどん明け離れて、電灯の消えた瞬間はちょっと部屋の中が暗くなったが、夏の朝らしく見る見るうちに白い光が窓から容赦なく流れ込んだ。昼になってからの暑さを予想させるような涼しさが青葉の軽いにおいと共に部屋の中にみちあふれた。愛子の着かえた大柄《おおがら》な白の飛白《かすり》も、赤いメリンスの帯も、葉子の目を清々《すがすが》しく刺激した。
葉子は自分で貞世の食事を作ってやるために宿直室のそばにある小さな庖厨《ほうちゅう》に行って、洋食店から届けて来たソップを温《あたた》めて塩で味をつけている間も、だんだん起き出て来る看護婦
前へ
次へ
全233ページ中197ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング