場にいるように興奮させていたであろう。けれども死の恐怖に激しく襲われた葉子はなんともいえない嫌悪《けんお》の情をもってのほかにはその場面を想像する事ができなかった。なんというあさましい人の心だろう。結局は何もかも滅びて行くのに、永遠な灰色の沈黙の中にくずれ込んでしまうのに、目前の貪婪《どんらん》に心火の限りを燃やして、餓鬼《がき》同様に命をかみ合うとはなんというあさましい心だろう。しかもその醜い争いの種子《たね》をまいたのは葉子自身なのだ。そう思うと葉子は自分の心と肉体とがさながら蛆虫《うじむし》のようにきたなく見えた。……何のために今まであってないような妄執《もうしゅう》に苦しみ抜いてそれを生命そのもののように大事に考え抜いていた事か。それはまるで貞世が始終見ているらしい悪夢の一つよりもさらにはかないものではないか。……こうなると倉地さえが縁もゆかりもないもののように遠く考えられ出した。葉子はすべてのもののむなしさにあきれたような目をあげて今さららしく部屋《へや》の中をながめ回した。なんの飾りもない、修道院の内部のような裸な室内がかえってすがすがしく見えた。岡の残した貞世の枕《まくら》もとの花束だけが、そしておそらくは(自分では見えないけれども)これほどの忙しさの間にも自分を粉飾するのを忘れずにいる葉子自身がいかにも浮薄なたよりないものだった。葉子はこうした心になると、熱に浮かされながら一歩一歩なんの心のわだかまりもなく死に近づいて行く貞世の顔が神々《こうごう》しいものにさえ見えた。葉子は祈るようなわび驍謔、な心でしみじみと貞世を見入った。
 やがて看護婦が貞世の部屋《へや》にはいって来た。形式一ぺんのお辞儀を睡《ねむ》そうにして、寝台のそばに近寄ると、無頓着《むとんじゃく》なふうに葉子が入れておいた検温器を出して灯《ひ》にすかして見てから、胸の氷嚢《ひょうのう》を取りかえにかかった。葉子は自分|一人《ひとり》の手でそんな事をしてやりたいような愛着と神聖さとを貞世に感じながら看護婦を手伝った。
 「貞《さあ》ちゃん……さ、氷嚢を取りかえますからね……」
 とやさしくいうと、囈言《うわごと》をいい続けていながらやはり貞世はそれまで眠っていたらしく、痛々《いたいた》しいまで大きくなった目を開いて、まじ[#「まじ」に傍点]まじと意外な人でも見るように葉子を見るのだった。
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