#「あいびき」に傍点]のあとの支払いにも、葉子は倉地からそのポケットブックを受け取って、ぜいたくな支払いを心持ちよくしたのだった。そしてそんな記憶はもう二度とは繰り返せそうもなく、なんとなく葉子には思えた。そんな事をさせてなるものかと思いながらも、葉子の心は妙に弱くなっていた。
「また足らなくなったらいつでもいってよこすがいいから……おれのほうの仕事はどうもおもしろくなくなって来《き》おった。正井のやつ何か容易ならぬ悪戯《わるさ》をしおった様子もあるし、油断がならん。たびたびおれがここに来るのも考え物だて」
紙幣を渡しながらこういって倉地は応接室を出た。かなりぬれているらしい靴《くつ》をはいて、雨水で重そうになった洋傘《こうもり》をばさ[#「ばさ」に傍点]ばさいわせながら開いて、倉地は軽い挨拶《あいさつ》を残したまま夕闇《ゆうやみ》の中に消えて行こうとした。間を置いて道わきにともされた電灯の灯《ひ》が、ぬれた青葉をすべり落ちてぬかるみの中に燐《りん》のような光を漂わしていた。その中をだんだん南門のほうに遠ざかって行く倉地を見送っていると葉子はとてもそのままそこに居残ってはいられなくなった。
だれの履《は》き物《もの》とも知らずそこにあった吾妻下駄《あづまげた》をつっかけて葉子は雨の中を玄関から走り出て倉地のあとを追った。そこにある広場には欅《けやき》や桜の木がまばらに立っていて、大規模な増築のための材料が、煉瓦《れんが》や石や、ところどころに積み上げてあった。東京の中央にこんな所があるかと思われるほど物さびしく静かで、街灯の光の届く所だけに白く光って斜めに雨のそそぐのがほのかに見えるばかりだった。寒いとも暑いともさらに感じなく過ごして来た葉子は、雨が襟脚《えりあし》に落ちたので初めて寒いと思った。関東に時々襲って来る時ならぬ冷え日《び》でその日もあったらしい。葉子は軽く身ぶるいしながら、いちずに倉地のあとを追った。やや十四五|間《けん》も先にいた倉地は足音を聞きつけたと見えて立ちどまって振り返った。葉子が追いついた時には、肩はいいかげんぬれて、雨のしずくが前髪を伝って額に流れかかるまでになっていた。葉子はかすかな光にすかして、倉地が迷惑そうな顔つきで立っているのを知った。葉子はわれにもなく倉地が傘《かさ》を持つために水平に曲げたその腕にすがり付いた。
「さっ
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