そう。お前さんがここの世話をしておいで?……なら余《ほか》の部屋《へや》もついでに見せておもらいしましょうかしらん」
女中はもう葉子には軽蔑《けいべつ》の色は見せなかった。そして心得顔《こころえがお》に次の部屋との間《あい》の襖《ふすま》をあける間《あいだ》に、葉子は手早く大きな銀貨を紙に包んで、
「少しかげんが悪いし、またいろいろお世話になるだろうから」
といいながら、それを女中に渡した。そしてずっ[#「ずっ」に傍点]と並んだ五つの部屋を一つ一つ見て回って、掛け軸、花びん、団扇《うちわ》さし、小屏風《こびょうぶ》、机というようなものを、自分の好みに任せてあてがわれた部屋のとすっかり[#「すっかり」に傍点]取りかえて、すみからすみまできれいに掃除《そうじ》をさせた。そして古藤を正座に据《す》えて小ざっぱり[#「小ざっぱり」に傍点]した座ぶとんにすわると、にっこりほほえみながら、
「これなら半日ぐらい我慢ができましょう」
といった。
「僕はどんな所でも平気なんですがね」
古藤はこう答えて、葉子の微笑を追いながら安心したらしく、
「気分はもうなおりましたね」
と付け加えた。
「えゝ」
と葉子は何げなく微笑を続けようとしたが、その瞬間につと思い返して眉《まゆ》をひそめた。葉子には仮病《けびょう》を続ける必要があったのをつい忘れようとしたのだった。それで、
「ですけれどもまだこんななんですの。こら動悸《どうき》が」
といいながら、地味《じみ》な風通《ふうつう》の単衣物《ひとえもの》の中にかくれたはなやかな襦袢《じゅばん》の袖《そで》をひらめかして、右手を力なげに前に出した。そしてそれと同時に呼吸をぐっ[#「ぐっ」に傍点]とつめて、心臓と覚《おぼ》しいあたりにはげしく力をこめた。古藤はすき通るように白い手くびをしばらくなで回していたが、脈所《みゃくどころ》に探りあてると急に驚いて目を見張った。
「どうしたんです、え、ひどく不規則じゃありませんか……痛むのは頭ばかりですか」
「いゝえ、お腹《なか》も痛みはじめたんですの」
「どんなふうに」
「ぎゅっ[#「ぎゅっ」に傍点]と錐《きり》ででももむように……よくこれがあるんで困ってしまうんですのよ」
古藤は静かに葉子の手を離して、大きな目で深々《ふかぶか》と葉子をみつめた。
「医者を呼ばなくっても我慢ができますか」
葉子は苦しげにほほえんで見せた。
「あなただったらきっとできないでしょうよ。……慣れっこですからこらえて見ますわ。その代わりあなた永田《ながた》さん……永田さん、ね、郵船会社の支店長の……あすこに行って船の切符の事を相談して来ていただけないでしょうか。御迷惑ですわね。それでもそんな事までお願いしちゃあ……ようござんす、わたし、車でそろそろ行きますから」
古藤は、女というものはこれほどの健康の変調をよくもこうまで我慢をするものだというような顔をして、もちろん自分が行ってみるといい張った。
実はその日、葉子は身のまわりの小道具や化粧品を調《ととの》えかたがた、米国行きの船の切符を買うために古藤を連れてここに来たのだった。葉子はそのころすでに米国にいるある若い学士と許嫁《いいなずけ》の間柄になっていた。新橋で車夫が若奥様と呼んだのも、この事が出入りのものの間に公然と知れわたっていたからの事だった。
それは葉子が私生子を設けてからしばらく後の事だった。ある冬の夜、葉子の母の親佐《おやさ》が何かの用でその良人《おっと》の書斎に行こうと階子段《はしごだん》をのぼりかけると、上から小間使いがまっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]に駆けおりて来て、危うく親佐にぶっ突かろうとしてそのそばをすりぬけながら、何か意味のわからない事を早口にいって[#底本では「いつて」、26−10]走り去った。その島田髷《しまだまげ》や帯の乱れた後ろ姿が、嘲弄《ちょうろう》の言葉のように目を打つと、親佐は口びるをかみしめたが、足音だけはしとやか[#「しとやか」に傍点]に階子段《はしごだん》を上がって、いつもに似ず書斎の戸の前に立ち止まって、しわぶきを一つして、それから規則正しく間《ま》をおいて三度戸をノックした。
こういう事があってから五日《いつか》とたたぬうちに、葉子の家庭すなわち早月家《さつきけ》は砂の上の塔のようにもろくもくずれてしまった。親佐はことに冷静な底気味わるい態度で夫婦の別居を主張した。そして日ごろの柔和に似ず、傷ついた[#底本では「傷ついに」と誤り]牡牛《おうし》のように元どおりの生活を回復しようとひしめく良人《おっと》や、中にはいっていろいろ言いなそうとした親類たちの言葉を、きっぱり[#「きっぱり」に傍点]としりぞけてしまって、良人を釘店《くぎだな》のだだっ広い住宅にたった一人《ひとり》残したまま、葉子ともに三人の娘を連れて、親佐は仙台《せんだい》に立ちのいてしまった。木部の友人たちが葉子の不人情を怒って、木部のとめるのもきかずに、社会から葬ってしまえとひしめいているのを葉子は聞き知っていたから、ふだんならば一も二もなく父をかばって母に楯《たて》をつくべきところを、素直《すなお》に母のするとおりになって、葉子は母と共に仙台に埋《うず》もれに行った。母は母で、自分の家庭から葉子のような娘の出た事を、できるだけ世間《せけん》に知られまいとした。女子教育とか、家庭の薫陶とかいう事をおりあるごとに口にしていた親佐は、その言葉に対して虚偽という利子を払わねばならなかった。一方をもみ消すためには一方にどん[#「どん」に傍点]と火の手をあげる必要がある。早月母子《さつきおやこ》が東京を去るとまもなく、ある新聞は早月《さつき》ドクトルの女性に関するふしだら[#「ふしだら」に傍点]を書き立てて、それにつけての親佐の苦心と貞操とを吹聴《ふいちょう》したついでに、親佐が東京を去るようになったのは、熱烈な信仰から来る義憤と、愛児を父の悪感化から救おうとする母らしい努力に基づくものだ。そのために彼女はキリスト教婦人同盟の副会長という顕要な位置さえ投げすてたのだと書き添えた。
仙台における早月親佐はしばらくの間《あいだ》は深く沈黙を守っていたが、見る見る周囲に人を集めて華々《はなばな》しく活動をし始めた。その客間は若い信者や、慈善家や、芸術家たちのサロンとなって、そこからリバイバルや、慈善|市《いち》や、音楽会というようなものが形を取って生まれ出た。ことに親佐が仙台支部長として働き出したキリスト教婦人同盟の運動は、その当時|野火《のび》のような勢いで全国に広がり始めた赤十字社の勢力にもおさおさ劣らない程の盛況を呈した。知事令夫人も、名だたる素封家《そほうか》の奥さんたちもその集会には列席した。そして三か年の月日は早月親佐を仙台には無くてはならぬ名物の一つにしてしまった。性質が母親とどこか似すぎているためか、似たように見えて一調子違っているためか、それとも自分を慎むためであったか、はたの人にはわからなかったが、とにかく葉子はそんなはなやかな雰囲気《ふんいき》に包まれながら、不思議なほど沈黙を守って、ろくろく晴れの座などには姿を現わさないでいた。それにもかかわらず親佐の客間に吸い寄せられる若い人々の多数は葉子に吸い寄せられているのだった。葉子の控え目なしおらしい様子がいやが上にも人のうわさを引く種《たね》となって、葉子という名は、多才で、情緒の細《こま》やかな、美しい薄命児をだれにでも思い起こさせた。彼女の立ちすぐれた眉目形《みめかたち》は花柳《かりゅう》の人たちさえうらやましがらせた。そしていろいろな風聞が、清教徒風に質素な早月の佗住居《わびずまい》の周囲を霞《かすみ》のように取り巻き始めた。
突然小さな仙台市は雷にでも打たれたようにある朝の新聞記事に注意を向けた。それはその新聞の商売がたきである或《あ》る新聞の社主であり主筆である某が、親佐と葉子との二人《ふたり》に同時に慇懃《いんぎん》を通じているという、全紙にわたった不倫きわまる記事だった。だれも意外なような顔をしながら心の中ではそれを信じようとした。
この日髪の毛の濃い、口の大きい、色白な一人《ひとり》の青年を乗せた人力車《じんりきしゃ》が、仙台の町中を忙《せわ》しく駆け回ったのを注意した人はおそらくなかったろうが、その青年は名を木村《きむら》といって、日ごろから快活な活動好きな人として知られた男で、その熱心な奔走の結果、翌日の新聞紙の広告欄には、二段抜きで、知事令夫人以下十四五名の貴婦人の連名で早月親佐《さつきおやさ》の冤罪《えんざい》が雪《すす》がれる事になった。この稀有《けう》の大《おお》げさな広告がまた小さな仙台の市中をどよめき渡らした。しかし木村の熱心も口弁も葉子の名を広告の中に入れる事はできなかった。
こんな騒ぎが持ち上がってから早月親佐の仙台における今までの声望は急に無くなってしまった。そのころちょうど東京に居残っていた早月が病気にかかって薬に親しむ身となったので、それをしお[#「しお」に傍点]に親佐は子供を連れて仙台を切り上げる事になった。
木村はその後すぐ早月|母子《おやこ》を追って東京に出て来た。そして毎日入りびたるように早月家に出入りして、ことに親佐の気に入るようになった。親佐が病気になって危篤に陥った時、木村は一生の願いとして葉子との結婚を申し出た。親佐はやはり母だった。死期を前に控えて、いちばん気にせずにいられないものは、葉子の将来だった。木村ならばあのわがままな、男を男とも思わぬ葉子に仕えるようにして行く事ができると思った。そしてキリスト教婦人同盟の会長をしている五十川《いそがわ》女史に後事を託して死んだ。この五十川女史のまあまあというような不思議なあいまいな切り盛りで、木村は、どこか不確実ではあるが、ともかく葉子を妻としうる保障を握ったのだった。
五
郵船会社の永田は夕方でなければ会社から退《ひ》けまいというので、葉子は宿屋に西洋物店のものを呼んで、必要な買い物をする事になった。古藤はそんならそこらをほッつき[#「ほッつき」に傍点]歩いて来るといって、例の麦稈《むぎわら》帽子を帽子掛けから取って立ち上がった。葉子は思い出したように肩越しに振り返って、
「あなたさっきパラソルは骨が五本のがいいとおっしゃってね」
といった。古藤は冷淡な調子で、
「そういったようでしたね」
と答えながら、何か他の事でも考えているらしかった。
「まあそんなにとぼけて……なぜ五本のがお好き?」
「僕が好きというんじゃないけれども、あなたはなんでも人と違ったものが好きなんだと思ったんですよ」
「どこまでも人をおからかいなさる……ひどい事……行っていらっしゃいまし」
と情を迎えるようにいって向き直ってしまった。古藤が縁側に出るとまた突然呼びとめた。障子《しょうじ》にはっきり[#「はっきり」に傍点]立ち姿をうつしたまま、
「なんです」
といって古藤は立ち戻《もど》る様子がなかった。葉子はいたずら者らしい笑いを口のあたりに浮かべていた。
「あなたは木村と学校が同じでいらしったのね」
「そうですよ、級は木村の……木村君のほうが二つも上でしたがね」
「あなたはあの人をどうお思いになって」
まるで少女のような無邪気な調子だった。古藤はほほえんだらしい語気で、
「そんな事はもうあなたのほうがくわしいはずじゃありませんか……心《しん》のいい活動家ですよ」
「あなたは?」
葉子はぽん[#「ぽん」に傍点]と高飛車《たかびしゃ》に出た。そしてにやり[#「にやり」に傍点]としながらがっくり[#「がっくり」に傍点]と顔を上向きにはねて、床の間の一蝶《いっちょう》のひどい偽《まが》い物《もの》を見やっていた。古藤がとっさの返事に窮して、少しむっ[#「むっ」に傍点]とした様子で答え渋っているのを見て取ると、葉子は今度は声の調子を落として、いかにもたよりないというふうに、
「日盛りは
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