等しく葉子を見誤っていた事を悔いるように見えた。なぜというと、彼らは一人《ひとり》として葉子に対して怨恨《えんこん》をいだいたり、憤怒《ふんぬ》をもらしたりするものはなかったから。そして少しひがんだ者たちは自分の愚を認めるよりも葉子を年《とし》不相当にませた女と見るほうが勝手だったから。
 それは恋によろしい若葉の六月のある夕方《ゆうがた》だった。日本橋《にほんばし》の釘店《くぎだな》にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵《せんじん》の抜けきらないようなふうをして集まって来た。十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢《きゃしゃ》な可憐《かれん》な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影《おもかげ》を見せて、二人《ふたり》の妹と共に給仕《きゅうじ》に立った。そしてしいられるままに、ケーベル博士からののしられたヴァイオリンの一手も奏《かな》でたりした。木部の全霊はただ一目《ひとめ》でこの美しい才気のみなぎりあふれた葉子の容姿に吸い込まれてしまった。葉子も不思議にこの小柄な青年に興味を感じた。そして運命は不思議ないたずらをするものだ。木部はその性格ばかりでなく、容貌《ようぼう》――骨細《ほねぼそ》な、顔の造作の整った、天才|風《ふう》に蒼白《あおじろ》いなめらかな皮膚の、よく見ると他の部分の繊麗な割合に下顎骨《かがっこつ》の発達した――までどこか葉子のそれに似ていたから、自意識の極度に強い葉子は、自分の姿を木部に見つけ出したように思って、一種の好奇心を挑発《ちょうはつ》せられずにはいなかった。木部は燃えやすい心に葉子を焼くようにかきいだいて、葉子はまた才走った頭に木部の面影を軽く宿して、その一夜の饗宴《きょうえん》はさりげなく終わりを告げた。
 木部の記者としての評判は破天荒《はてんこう》といってもよかった。いやしくも文学を解するものは木部を知らないものはなかった。人々は木部が成熟した思想をひっさげて世の中に出て来る時の華々《はなばな》しさをうわさし合った。ことに日清戦役という、その当時の日本にしては絶大な背景を背負っているので、この年少記者はある人々からは英雄《ヒーロー》の一人《ひとり》とさえして崇拝された。この木部がたびたび葉子の家を訪れるようになった。その感傷的な、同時にどこか大望《たいもう》に燃え立ったようなこの青年の活気は、家じゅうの人々の心を捕えないでは置かなかった。ことに葉子の母が前から木部を知っていて、非常に有為《ゆうい》多望な青年だとほめそやしたり、公衆の前で自分の子とも弟ともつかぬ態度で木部をもてあつかったりするのを見ると、葉子は胸の中でせせら笑った。そして心を許して木部に好意を見せ始めた。木部の熱意が見る見る抑《おさ》えがたく募り出したのはもちろんの事である。
 かの六月の夜が過ぎてからほどもなく木部と葉子とは恋という言葉で見られねばならぬような間柄《あいだがら》になっていた。こういう場合葉子がどれほど恋の場面を技巧化し芸術化するに巧みであったかはいうに及ばない。木部は寝ても起きても夢の中にあるように見えた。二十五というそのころまで、熱心な信者で、清教徒風《せいきょうとふう》の誇りを唯一の立場としていた木部がこの初恋においてどれほど真剣になっていたかは想像する事ができる。葉子は思いもかけず木部の火のような情熱に焼かれようとする自分を見いだす事がしばしばだった。
 そのうちに二人《ふたり》の間柄はすぐ葉子の母に感づかれた。葉子に対してかねてからある事では一種の敵意を持ってさえいるように見えるその母が、この事件に対して嫉妬《しっと》とも思われるほど厳重な故障を持ち出したのは、不思議でないというべき境《さかい》を通り越していた。世故《せこ》に慣れきって、落ち付き払った中年の婦人が、心の底の動揺に刺激されてたくらみ出すと見える残虐な譎計《わるだくみ》は、年若い二人の急所をそろそろとうかがいよって、腸も通れと突き刺してくる。それを払いかねて木部が命限りにもがくのを見ると、葉子の心に純粋な同情と、男に対する無条件的な捨て身な態度が生まれ始めた。葉子は自分で造り出した自分の穽《おとしあな》にたわいもなく酔い始めた。葉子はこんな目もくらむような晴れ晴れしいものを見た事がなかった。女の本能が生まれて始めて芽をふき始めた。そして解剖刀《メス》のような日ごろの批判力は鉛のように鈍ってしまった。葉子の母が暴力では及ばないのを悟って、すかしつなだめつ、良人《おっと》までを道具につかったり、木部の尊信する牧師を方便にしたりして、あらん限りの知力をしぼった懐柔策も、なんのかいもなく、冷静な思慮深い作戦計画を根気《こんき》よく続ければ続けるほど、葉子は木部を後ろにかばいながら、健気《けなげ》にもか弱い女の手一つで戦った。そして木部の全身全霊を爪《つめ》の先《さき》想《おも》いの果てまで自分のものにしなければ、死んでも死ねない様子が見えたので、母もとうとう我《が》を折った。そして五か月の恐ろしい試練の後に、両親の立ち会わない小さな結婚の式が、秋のある午後、木部の下宿《げしゅく》の一間《ひとま》で執り行なわれた。そして母に対する勝利の分捕《ぶんど》り品《ひん》として、木部は葉子一人のものとなった。
 木部はすぐ葉山《はやま》に小さな隠れ家《が》のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事になった。葉子の恋はしかしながらそろそろと冷え始めるのに二週間以上を要しなかった。彼女は競争すべからぬ関係の競争者に対してみごとに勝利を得てしまった。日清戦争というものの光も太陽が西に沈むたびごとに減じて行った。それらはそれとしていちばん葉子を失望させたのは同棲《どうせい》後始めて男というものの裏を返して見た事だった。葉子を確実に占領したという意識に裏書きされた木部は、今までおくび[#「おくび」に傍点]にも葉子に見せなかった女々《めめ》しい弱点を露骨《ろこつ》に現わし始めた。後ろから見た木部は葉子には取り所のない平凡な気の弱い精力の足りない男に過ぎなかった。筆一本握る事もせずに朝から晩まで葉子に膠着《こうちゃく》し、感傷的なくせに恐ろしくわがままで、今日《こんにち》今日の生活にさえ事欠きながら、万事を葉子の肩になげかけてそれが当然な事でもあるような鈍感なお坊《ぼっ》ちゃんじみた生活のしかたが葉子の鋭い神経をいらいらさせ出した。始めのうちは葉子もそれを木部の詩人らしい無邪気さからだと思ってみた。そしてせっせ[#「せっせ」に傍点]せっせと世話女房らしく切り回す事に興味をつないでみた。しかし心の底の恐ろしく物質的な葉子にどうしてこんな辛抱がいつまでも続こうぞ。結婚前までは葉子のほうから迫ってみたにも係わらず、崇高と見えるまでに極端な潔癖屋だった彼であったのに、思いもかけぬ貪婪《どんらん》な陋劣《ろうれつ》な情欲の持ち主で、しかもその欲求を貧弱な体質で表わそうとするのに出っくわすと、葉子は今まで自分でも気がつかずにいた自分を鏡で見せつけられたような不快を感ぜずにはいられなかった。夕食を済ますと葉子はいつでも不満と失望とでいらいらしながら夜を迎えねばならなかった。木部の葉子に対する愛着が募れば募るほど、葉子は一生が暗くなりまさるように思った。こうして死ぬために生まれて来たのではないはずだ。そう葉子はくさ[#「くさ」に傍点]くさしながら思い始めた。その心持ちがまた木部に響いた。木部はだんだん監視の目をもって葉子の一挙一動を注意するようになって来た。同棲《どうせい》してから半か月もたたないうちに、木部はややもすると高圧的に葉子の自由を束縛するような態度を取るようになった。木部の愛情は骨にしみるほど知り抜きながら、鈍っていたt子の批判力はまた磨《みが》きをかけられた。その鋭くなった批判力で見ると、自分と似よった姿なり性格なりを木部に見いだすという事は、自然が巧妙な皮肉をやっているようなものだった。自分もあんな事を想《おも》い、あんな事をいうのかと思うと、葉子の自尊心は思う存分に傷つけられた。
 ほかの原因もある。しかしこれだけで充分だった。二人《ふたり》が一緒になってから二か月目に、葉子は突然|失踪《しっそう》して、父の親友で、いわゆる物事のよくわかる高山《たかやま》という医者の病室に閉じこもらしてもらって、三日《みっか》ばかりは食う物も食わずに、浅ましくも男のために目のくらんだ自分の不覚を泣き悔やんだ。木部が狂気のようになって、ようやく葉子の隠れ場所を見つけて会いに来た時は、葉子は冷静な態度でしらじらしく面会した。そして「あなたの将来のおためにきっとなりませんから」と何げなげにいってのけた。木部がその言葉に骨を刺すような諷刺《ふうし》を見いだしかねているのを見ると、葉子は白くそろった美しい歯を見せて声を出して笑った。
 葉子と木部との間柄はこんなたわいもない場面を区切りにしてはかなくも破れてしまった。木部はあらんかぎりの手段を用いて、なだめたり、すかしたり、強迫までしてみたが、すべては全く無益だった。いったん木部から離れた葉子の心は、何者も触れた事のない処女のそれのようにさえ見えた。
 それから普通の期間を過ぎて葉子は木部の子を分娩《ぶんべん》したが、もとよりその事を木部に知らせなかったばかりでなく、母にさえある他の男によって生んだ子だと告白した。実際葉子はその後、母にその告白を信じさすほどの生活をあえてしていたのだった。しかし母は目ざとくもその赤ん坊に木部の面影を探り出して、キリスト信徒にあるまじき悪意をこのあわれな赤ん坊に加えようとした。赤ん坊は女中部屋《じょちゅうべや》に運ばれたまま、祖母の膝《ひざ》には一度も乗らなかった。意地《いじ》の弱い葉子の父だけは孫のかわいさからそっと赤ん坊を葉子の乳母《うば》の家に引き取るようにしてやった。そしてそのみじめな赤ん坊は乳母の手一つに育てられて定子《さだこ》という六歳の童女になった。
 その後葉子の父は死んだ。母も死んだ。木部は葉子と別れてから、狂瀾《きょうらん》のような生活に身を任せた。衆議院議員の候補に立ってもみたり、純文学に指を染めてもみたり、旅僧のような放浪生活も送ったり、妻を持ち子を成し、酒にふけり、雑誌の発行も企てた。そしてそのすべてに一々不満を感ずるばかりだった。そして葉子が久しぶりで汽車の中で出あった今は、妻子を里に返してしまって、ある由緒《ゆいしょ》ある堂上華族《どうじょうかぞく》の寄食者となって、これといってする仕事もなく、胸の中だけにはいろいろな空想を浮かべたり消したりして、とかく回想にふけりやすい日送りをしている時だった。

    三
    
 その木部の目は執念《しゅうね》くもつきまつわった。しかし葉子はそっちを見向こうともしなかった。そして二等の切符でもかまわないからなぜ一等に乗らなかったのだろう。こういう事がきっとあると思ったからこそ、乗り込む時もそういおうとしたのだのに、気がきかないっちゃないと思うと、近ごろになく起きぬけからさえざえしていた気分が、沈みかけた秋の日のように陰ったりめいったりし出して、冷たい血がポンプにでもかけられたように脳のすきまというすきまをかたく閉ざした。たまらなくなって向かいの窓から景色でも見ようとすると、そこにはシェードがおろしてあって、例の四十三四の男が厚い口びるをゆるくあけたままで、ばかな顔をしながらまじまじと葉子を見やっていた。葉子はむっ[#「むっ」に傍点]としてその男の額《ひたい》から鼻にかけたあたりを、遠慮もなく発矢《はっし》と目でむちうった。商人は、ほんとうにむちうたれた人が泣き出す前にするように、笑うような、はにかんだような、不思議な顔のゆがめかたをして、さすがに顔をそむけてしまった。その意気地《いくじ》のない様子がまた葉子の心をいらいらさせた。右に目を移せば三四人先に木部がいた。その鋭い小さな目は依然として葉子を見守っていた。葉子は震えを覚えるばかりに激昂《げきこう》した神経を両手に集めて、その両手を
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