て、品《しな》もあろう事かまっ赤《か》な毛布《もうふ》を一枚買って帰って来た。葉子はとうとう我《が》を折って最終列車で東京に帰る事にした。
一等の客車には二人《ふたり》のほかに乗客はなかった。葉子はふとした出来心から古藤をおとしいれようとした目論見《もくろみ》に失敗して、自分の征服力に対するかすかな失望と、存分の不快とを感じていた。客車の中ではまたいろいろと話そうといって置きながら、汽車が動き出すとすぐ、古藤の膝《ひざ》のそばで毛布にくるまったまま新橋まで寝通してしまった。
新橋に着いてから古藤が船の切符を葉子に渡して人力車を二台|傭《やと》って、その一つに乗ると、葉子はそれにかけよって懐中から取り出した紙入れを古藤の膝にほうり出して、左の鬢《びん》をやさしくかき上げながら、
「きょうのお立て替えをどうぞその中から……あすはきっといらしってくださいましね……お待ち申しますことよ……さようなら」
といって自分ももう一つの車に乗った。葉子の紙入れの中には正金銀行から受け取った五十円金貨八枚がはいっている。そして葉子は古藤がそれをくずして立て替えを取る気づかいのないのを承知していた。
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