。そして木部の全身全霊を爪《つめ》の先《さき》想《おも》いの果てまで自分のものにしなければ、死んでも死ねない様子が見えたので、母もとうとう我《が》を折った。そして五か月の恐ろしい試練の後に、両親の立ち会わない小さな結婚の式が、秋のある午後、木部の下宿《げしゅく》の一間《ひとま》で執り行なわれた。そして母に対する勝利の分捕《ぶんど》り品《ひん》として、木部は葉子一人のものとなった。
 木部はすぐ葉山《はやま》に小さな隠れ家《が》のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事になった。葉子の恋はしかしながらそろそろと冷え始めるのに二週間以上を要しなかった。彼女は競争すべからぬ関係の競争者に対してみごとに勝利を得てしまった。日清戦争というものの光も太陽が西に沈むたびごとに減じて行った。それらはそれとしていちばん葉子を失望させたのは同棲《どうせい》後始めて男というものの裏を返して見た事だった。葉子を確実に占領したという意識に裏書きされた木部は、今までおくび[#「おくび」に傍点]にも葉子に見せなかった女々《めめ》しい弱点を露骨《ろこつ》に現わし始めた。後ろから見た木部は葉子には取り所
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