のはしたない言葉の中には交じっていた。開港場のがさつ[#「がさつ」に傍点]な卑しい調子は、すぐ葉子の神経にびり[#「びり」に傍点]びりと感じて来た。
何しろ葉子は早く落ち付く所を見つけ出したかった。古藤は停車場の前方の川添いにある休憩所まで走って[#底本では「走つて」、22−18]行って見たが、帰って来るとぶり[#「ぶり」に傍点]ぶりして、駅夫あがりらしい茶店の主人は古藤の書生っぽ姿をいかにもばかにしたような断わりかたをしたといった。二人はしかたなくうるさく付きまつわる車夫を追い払いながら、潮の香の漂った濁った小さな運河を渡って、ある狭いきたない町の中ほどにある一軒の小さな旅人宿にはいって行った。横浜という所には似もつかぬような古風な外構《そとがま》えで、美濃紙《みのがみ》のくすぶり返った置き行燈《あんどん》には太い筆つきで相模屋《さがみや》と書いてあった。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっていた。いたずら好きなその心は、嘉永《かえい》ごろの浦賀《うらが》にでもあればありそうなこの旅籠屋《はたごや》に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思った。店にしゃがんで、番頭と何か話しているあばずれ[#「あばずれ」に傍点]たような女中までが目にとまった。そして葉子が体《てい》よく物を言おうとしていると、古藤がいきなり取りかまわない調子で、
「どこか静かな部屋《へや》に案内してください」
と無愛想《ぶあいそ》に先《さき》を越してしまった。
「へいへい、どうぞこちらへ」
女中は二人をまじまじと見やりながら、客の前もかまわず、番頭と目を見合わせて、さげすんだらしい笑いをもらして案内に立った。
ぎし[#「ぎし」に傍点]ぎしと板ぎしみのするまっ黒な狭い階子段《はしごだん》を上がって、西に突き当たった六畳ほどの狭い部屋《へや》に案内して、突っ立ったままで荒っぽく二人を不思議そうに女中は見比べるのだった。油じみた襟元《えりもと》を思い出させるような、西に出窓のある薄ぎたない部屋の中を女中をひっくるめてにらみ回しながら古藤は、
「外部《そと》よりひどい……どこか他所《よそ》にしましょうか」
と葉子を見返った。葉子はそれには耳もかさずに、思慮深い貴女《きじょ》のような物腰で女中のほうに向いていった。
「隣室《となり》も明いていますか……そう。夜まではどこも明いている……そう。お前さんがここの世話をしておいで?……なら余《ほか》の部屋《へや》もついでに見せておもらいしましょうかしらん」
女中はもう葉子には軽蔑《けいべつ》の色は見せなかった。そして心得顔《こころえがお》に次の部屋との間《あい》の襖《ふすま》をあける間《あいだ》に、葉子は手早く大きな銀貨を紙に包んで、
「少しかげんが悪いし、またいろいろお世話になるだろうから」
といいながら、それを女中に渡した。そしてずっ[#「ずっ」に傍点]と並んだ五つの部屋を一つ一つ見て回って、掛け軸、花びん、団扇《うちわ》さし、小屏風《こびょうぶ》、机というようなものを、自分の好みに任せてあてがわれた部屋のとすっかり[#「すっかり」に傍点]取りかえて、すみからすみまできれいに掃除《そうじ》をさせた。そして古藤を正座に据《す》えて小ざっぱり[#「小ざっぱり」に傍点]した座ぶとんにすわると、にっこりほほえみながら、
「これなら半日ぐらい我慢ができましょう」
といった。
「僕はどんな所でも平気なんですがね」
古藤はこう答えて、葉子の微笑を追いながら安心したらしく、
「気分はもうなおりましたね」
と付け加えた。
「えゝ」
と葉子は何げなく微笑を続けようとしたが、その瞬間につと思い返して眉《まゆ》をひそめた。葉子には仮病《けびょう》を続ける必要があったのをつい忘れようとしたのだった。それで、
「ですけれどもまだこんななんですの。こら動悸《どうき》が」
といいながら、地味《じみ》な風通《ふうつう》の単衣物《ひとえもの》の中にかくれたはなやかな襦袢《じゅばん》の袖《そで》をひらめかして、右手を力なげに前に出した。そしてそれと同時に呼吸をぐっ[#「ぐっ」に傍点]とつめて、心臓と覚《おぼ》しいあたりにはげしく力をこめた。古藤はすき通るように白い手くびをしばらくなで回していたが、脈所《みゃくどころ》に探りあてると急に驚いて目を見張った。
「どうしたんです、え、ひどく不規則じゃありませんか……痛むのは頭ばかりですか」
「いゝえ、お腹《なか》も痛みはじめたんですの」
「どんなふうに」
「ぎゅっ[#「ぎゅっ」に傍点]と錐《きり》ででももむように……よくこれがあるんで困ってしまうんですのよ」
古藤は静かに葉子の手を離して、大きな目で深々《ふかぶか》と葉子をみつめた。
「医者を呼ばなくっても
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