しん》の正直ななんとかだとおっしゃった木村に縁づくようになったのも、その晩の事です。五十川《いそがわ》が親類じゅうに賛成さして、晴れがましくもわたしをみんなの前に引き出しておいて、罪人にでもいうように宣告してしまったのです。わたしが一口でもいおうとすれば、五十川のいうには母の遺言ですって。死人に口なし。ほんとに木村はあなたがおっしゃったような人間ね。仙台であんな事があったでしょう。あの時知事の奥さんはじめ母のほうはなんとかしようが娘のほうは保証ができないとおっしゃったんですとさ」
いい知らぬ侮蔑《ぶべつ》の色が葉子の顔にみなぎった。
「ところが木村は自分の考えを押し通しもしないで、おめおめと新聞には母だけの名を出してあの広告をしたんですの。
母だけがいい人になればだれだってわたしを……そうでしょう。そのあげくに木村はしゃあ[#「しゃあ」に傍点]しゃあとわたしを妻にしたいんですって、義一さん、男ってそれでいいものなんですか。まあね物の譬《たと》えがですわ。それとも言葉ではなんといってもむだだから、実行的にわたしの潔白を立ててやろうとでもいうんでしょうか」
そういって激昂《げきこう》しきった葉子はかみ捨てるようにかん高《だか》くほゝ[#「ほゝ」に傍点]と笑った。
「いったいわたしはちょっとした事で好ききらいのできる悪い質《たち》なんですからね。といってわたしはあなたのような生《き》一本でもありませんのよ。
母の遺言だから木村と夫婦になれ。早く身を堅めて地道《じみち》に暮らさなければ母の名誉をけがす事になる。妹だって裸でお嫁入りもできまいといわれれば、わたし立派《りっぱ》に木村の妻になって御覧にいれます。その代わり木村が少しつらいだけ。
こんな事をあなたの前でいってはさぞ気を悪くなさるでしょうが、真直《まっすぐ》なあなただと思いますから、わたしもその気で何もかも打ち明けて申してしまいますのよ。わたしの性質や境遇はよく御存じですわね。こんな性質でこんな境遇にいるわたしがこう考えるのにもし間違いがあったら、どうか遠慮なくおっしゃってください。
あゝいやだった事。義一さん、わたしこんな事はおくびにも出さずに今の今までしっかり胸にしまって我慢していたのですけれども、きょうはどうしたんでしょう、なんだか遠い旅にでも出たようなさびしい気になってしまって……」
弓弦《
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