そう。お前さんがここの世話をしておいで?……なら余《ほか》の部屋《へや》もついでに見せておもらいしましょうかしらん」
女中はもう葉子には軽蔑《けいべつ》の色は見せなかった。そして心得顔《こころえがお》に次の部屋との間《あい》の襖《ふすま》をあける間《あいだ》に、葉子は手早く大きな銀貨を紙に包んで、
「少しかげんが悪いし、またいろいろお世話になるだろうから」
といいながら、それを女中に渡した。そしてずっ[#「ずっ」に傍点]と並んだ五つの部屋を一つ一つ見て回って、掛け軸、花びん、団扇《うちわ》さし、小屏風《こびょうぶ》、机というようなものを、自分の好みに任せてあてがわれた部屋のとすっかり[#「すっかり」に傍点]取りかえて、すみからすみまできれいに掃除《そうじ》をさせた。そして古藤を正座に据《す》えて小ざっぱり[#「小ざっぱり」に傍点]した座ぶとんにすわると、にっこりほほえみながら、
「これなら半日ぐらい我慢ができましょう」
といった。
「僕はどんな所でも平気なんですがね」
古藤はこう答えて、葉子の微笑を追いながら安心したらしく、
「気分はもうなおりましたね」
と付け加えた。
「えゝ」
と葉子は何げなく微笑を続けようとしたが、その瞬間につと思い返して眉《まゆ》をひそめた。葉子には仮病《けびょう》を続ける必要があったのをつい忘れようとしたのだった。それで、
「ですけれどもまだこんななんですの。こら動悸《どうき》が」
といいながら、地味《じみ》な風通《ふうつう》の単衣物《ひとえもの》の中にかくれたはなやかな襦袢《じゅばん》の袖《そで》をひらめかして、右手を力なげに前に出した。そしてそれと同時に呼吸をぐっ[#「ぐっ」に傍点]とつめて、心臓と覚《おぼ》しいあたりにはげしく力をこめた。古藤はすき通るように白い手くびをしばらくなで回していたが、脈所《みゃくどころ》に探りあてると急に驚いて目を見張った。
「どうしたんです、え、ひどく不規則じゃありませんか……痛むのは頭ばかりですか」
「いゝえ、お腹《なか》も痛みはじめたんですの」
「どんなふうに」
「ぎゅっ[#「ぎゅっ」に傍点]と錐《きり》ででももむように……よくこれがあるんで困ってしまうんですのよ」
古藤は静かに葉子の手を離して、大きな目で深々《ふかぶか》と葉子をみつめた。
「医者を呼ばなくっても
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