それにわたしが胃病で寝込むようになってからは、船中のお客様がそれは同情してくださって、いろいろとしてくださるのが、奥さんには大のお気に入らなかったんですの。奥さんだけがわたしを親切にしてくださって、ほかの方《かた》はみんな寄ってたかって、奥さんを親切にして上げてくださる段取りにさえなれば、何もかも無事だったんですけれどもね、中でも事務長の親切にして上げかたがいちばん足りなかったんでしょうよ」
と言葉を結んだ。木村は口びるをかむように聞いていたが、いまいましげに、
「わかりましたわかりました」
合点《がてん》しながらつぶやいた。
葉子は額の生《は》えぎわの短い毛を引っぱっては指に巻いて上目でながめながら、皮肉な微笑を口びるのあたりに浮かばして、
「おわかりになった? ふん、どうですかね」
と空うそぶいた。
木村は何を思ったかひどく感傷的な態度になっていた。
「わたしが悪かった。わたしはどこまでもあなたを信ずるつもりでいながら、他人の言葉に多少とも信用をかけようとしていたのが悪かったのです。……考えてください、わたしは親類や友人のすべての反対を犯してここまで来ているのです。もうあなたなしにはわたしの生涯《しょうがい》は無意味です。わたしを信じてください。きっと十年を期して男になって見せますから……もしあなたの愛からわたしが離れなければならんような事があったら……わたしはそんな事を思うに堪《た》えない……葉子さん」
木村はこういいながら目を輝かしてすり寄って来た。葉子はその思いつめたらしい態度に一種の恐怖を感ずるほどだった。男の誇りも何も忘れ果て、捨て果てて、葉子の前に誓いを立てている木村を、うまうま偽っているのだと思うと、葉子はさすがに針で突くような痛みを鋭く深く良心の一|隅《ぐう》に感ぜずにはいられなかった。しかしそれよりもその瞬間に葉子の胸を押しひしぐように狭《せば》めたものは、底のない物すごい不安だった。木村とはどうしても連れ添う心はない。その木村に……葉子はおぼれた人が岸べを望むように事務長を思い浮かべた。男というものの女に与える力を今さらに強く感じた。ここに事務長がいてくれたらどんなに自分の勇気は加わったろう。しかし……どうにでもなれ。どうかしてこの大事な瀬戸を漕《こ》ぎぬけなければ浮かぶ瀬はない。葉子は大《だい》それた謀反人《むほんにん》の
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