「うまくおっしゃるわ」
と留《とど》めをさしておいて、しばらくしてから思い出したように、
「あなた田川の奥さんにおあいなさって」
と尋ねた。木村はまだあわなかったと答えた。葉子は皮肉な表情をして、
「いまにきっとおあいになってよ。一緒にこの船でいらしったんですもの。そして五十川《いそがわ》のおばさんがわたしの監督をお頼みになったんですもの。一度おあいになったらあなたはきっとわたしなんぞ見向きもなさらなくなりますわ」
「どうしてです」
「まあおあいなさってごらんなさいまし」
「何かあなた批難を受けるような事でもしたんですか」
「えゝえゝたくさんしましたとも」
「田川夫人に? あの賢夫人の批難を受けるとは、いったいどんな事をしたんです」
葉子はさも愛想《あいそ》が尽きたというふうに、
「あの賢夫人!」
といいながら高々と笑った。二人《ふたり》の感情の糸はまたももつれてしまった。
「そんなにあの奥さんにあなたの御信用があるのなら、わたしから申しておくほうが早手回しですわね」
と葉子は半分皮肉な半分まじめな態度で、横浜出航以来夫人から葉子が受けた暗々裡《あんあんり》の圧迫に尾鰭《おひれ》をつけて語って来て、事務長と自分との間に何かあたりまえでない関係でもあるような疑いを持っているらしいという事を、他人事《ひとごと》でも話すように冷静に述べて行った。その言葉の裏には、しかし葉子に特有な火のような情熱がひらめいて、その目は鋭く輝いたり涙ぐんだりしていた。木村は電火にでも打たれたように判断力を失って、一部始終をぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と聞いていた。言葉だけにもどこまでも冷静な調子を持たせ続けて葉子はすべてを語り終わってから、
「同じ親切にも真底《しんそこ》からのと、通り一ぺんのと二つありますわね。その二つがどうかしてぶつかり合うと、いつでもほんとうの親切のほうが悪者《わるもの》扱いにされたり、邪魔者に見られるんだからおもしろうござんすわ。横浜を出てから三日ばかり船に酔ってしまって、どうしましょうと思った時にも、御親切な奥さんは、わざと御遠慮なさってでしょうね、三度三度食堂にはお出になるのに、一度もわたしのほうへはいらしってくださらないのに、事務長ったら幾度もお医者さんを連れて来るんですもの、奥さんのお疑いももっともといえばもっともですの。
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