く、巧みに葉子にばつ[#「ばつ」に傍点]を合わせた。
 「何? あなた見た?……おゝそうそう……これは寝ぼけ返っとるぞ、はゝゝゝ」
 そして互いに顔を見合わせながら二人《ふたり》はしたたか笑った。木村はしばらく二人をかたみがわりに見くらべていたが、これもやがて声を立てて笑い出した。木村の笑い出すのを見た二人は無性《むしょう》におかしくなってもう一度新しく笑いこけた。木村という大きな邪魔者を目の前に据《す》えておきながら、互いの感情が水のように苦もなく流れ通うのを二人は子供らしく楽しんだ。
 しかしこんないたずらめいた事のために話はちょっと途切れてしまった。くだらない事に二人からわき出た少し仰山《ぎょうさん》すぎた笑いは、かすかながら木村の感情をそこねたらしかった。葉子は、この場合、なお居残ろうとする事務長を遠ざけて、木村とさし向かいになるのが得策《とくさく》だと思ったので、程《ほど》もなくきまじめな顔つきに返って、枕《まくら》の下を探って、そこに入れて置いた古藤の手紙を取り出して木村に渡しながら、
 「これをあなたに古藤さんから。古藤さんにはずいぶんお世話になりましてよ。でもあの方《かた》のぶま[#「ぶま」に傍点]さかげんったら、それはじれっ[#「じれっ」に傍点]たいほどね。愛や貞の学校の事もお頼みして来たんですけれども心もとないもんよ。きっと今ごろはけんか腰になってみんなと談判でもしていらっしゃるでしょうよ。見えるようですわね」
 と水を向けると、木村は始めて話の領分が自分のほうに移って来たように、顔色をなおしながら、事務長をそっちのけ[#「そっちのけ」に傍点]にした態度で、葉子に対しては自分が第一の発言権を持っているといわんばかりに、いろいろと話し出した。事務長はしばらく風向きを見計らって立っていたが突然|部屋《へや》を出て行った。葉子はすばやくその顔色をうかがうと妙にけわしくなっていた。
 「ちょっと失礼」
 木村の癖で、こんな時まで妙によそよそしく断わって、古藤の手紙の封を切った。西洋|罫紙《けいし》にペンで細かく書いた幾枚かのかなり厚いもので、それを木村が読み終わるまでには暇がかかった。その間、葉子は仰向けになって、甲板《かんぱん》で盛んに荷揚げしている人足《にんそく》らの騒ぎを聞きながら、やや暗くなりかけた光で木村の顔を見やっていた。少し眉根《まゆね》を
前へ 次へ
全170ページ中146ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング