て甲板《かんぱん》に出てみた。右舷《うげん》を回って左舷に出ると計らずも目の前に陸影を見つけ出して、思わず足を止めた。そこには十日《とおか》ほど念頭から絶え果てていたようなものが海面から浅くもれ上がって続いていた。葉子は好奇な目をかがやかしながら、思わず一たんとめた足を動かして手欄《てすり》に近づいてそれを見渡した。オレゴン松がすくすくと白波の激しくかみよせる岸べまで密生したバンクーバー島の低い山なみがそこにあった。物すごく底光りのするまっさおな遠洋の色は、いつのまにか乱れた波の物狂わしく立ち騒ぐ沿海の青灰色に変わって、その先に見える暗緑の樹林はどんより[#「どんより」に傍点]とした雨空の下に荒涼として横たわっていた。それはみじめな姿だった。距《へだた》りの遠いせいか船がいくら進んでも景色にはいささかの変化も起こらないで、荒涼たるその景色はいつまでも目の前に立ち続いていた。古綿《ふるわた》に似た薄雲をもれる朝日の光が力弱くそれを照らすたびごとに、煮え切らない影と光の変化がかすかに山と海とをなでて通るばかりだ。長い長い海洋の生活に慣れた葉子の目には陸地の印象はむしろきたないものでも見るように不愉快だった。もう三日ほどすると船はいやでもシヤトルの桟橋につながれるのだ。向こうに見えるあの陸地の続きにシヤトルはある。あの松の林が切り倒されて少しばかりの平地となった所に、ここに一つかしこに一つというように小屋が建ててあるが、その小屋の数が東に行くにつれてだんだん多くなって、しまいには一かたまりの家屋ができる。それがシヤトルであるに違いない。うらさびしく秋風の吹きわたるその小さな港町の桟橋に、野獣のような諸国の労働者が群がる所に、この小さな絵島丸が疲れきった船体を横たえる時、あの木村が例のめまぐるしい機敏さで、アメリカ風《ふう》になり済ましたらしい物腰で、まわりの景色に釣《つ》り合わない景気のいい顔をして、船梯子《ふなばしご》を上って来る様子までが、葉子には見るように想像された。
「いやだいやだ。どうしても木村と一緒になるのはいやだ。私は東京に帰ってしまおう」
葉子はだだっ子らしく今さらそんな事を本気に考えてみたりしていた。
水夫長と一人《ひとり》のボーイとが押し並んで、靴《くつ》と草履《ぞうり》との音をたてながらやって来た。そして葉子のそばまで来ると、葉子が振り返ったの
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