。他人《ひと》の妾《めかけ》に目星をつけて何になると皮肉をいうものもあった。
何しろ競馬は非常な景気だった。勝負がつく度に揚る喝采《かっさい》の声は乾いた空気を伝わって、人々を家の内にじっとさしては置かなかった。
仁右衛門はその頃|博奕《ばくち》に耽《ふけ》っていた。始めの中《うち》はわざと負けて見せる博徒の手段に甘々《うまうま》と乗せられて、勢い込んだのが失敗の基《もと》で、深入りするほど損をしたが、損をするほど深入りしないではいられなかった。亜麻の収利は疾《とう》の昔にけし飛んでいた。それでも馬は金輪際《こんりんざい》売る気がなかった。剰《あま》す所は燕麦《からすむぎ》があるだけだったが、これは播種時《たねまきどき》から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍|糧秣廠《りょうまつしょう》に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよりも割がよかったのだ。商人どもはこのボイコットを如何《どう》して見過していよう。彼らは農家の戸別訪問をして糧秣廠よりも遙かに高価に引受けると勧誘した。糧秣廠から買入代金が下ってもそれは一応事務所にまとまって下るのだ。その中から小作料だけを差引い
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