えるだけだった。六軒目には蹄鉄屋《ていてつや》があった。怪しげな煙筒からは風にこきおろされた煙の中にまじって火花が飛び散っていた。店は熔炉《ようろ》の火口《ひぐち》を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側《むこうがわ》まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強《しい》て方向《むき》を変えさせられた風の脚が意趣に砂を捲《ま》き上《あ》げた。砂は蹄鉄屋の前の火の光に照りかえされて濛々《もうもう》と渦巻く姿を見せた。仕事場の鞴《ふいご》の囲《まわ》りには三人の男が働いていた。鉄砧《かなしき》にあたる鉄槌《かなづち》の音が高く響くと疲れ果てた彼れの馬さえが耳を立てなおした。彼れはこの店先きに自分の馬を引張って来る時の事を思った。妻は吸い取られるように暖かそうな火の色に見惚《みと》れていた。二人は妙にわくわくした心持ちになった。
 蹄鉄屋の先きは急に闇が濃《こま》かくなって大抵の家はもう戸じまりをしていた。荒物屋《あらものや》を兼ねた居酒屋《いざかや》らしい一軒から食物の香と男女のふざけ返った濁声《だみごえ》がもれる外《ほか》に
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