「一概にいったが何条《なじょう》悪いだ。去《い》ね。去ねべし」
 「そういえど広岡さん……」
 「汝《わり》ゃ拳固《げんこ》こと喰らいていがか」
 女を待ちうけている仁右衛門にとっては、この邪魔者の長居しているのがいまいましいので、言葉も仕打ちも段々|荒《あら》らかになった。
 執着の強い笠井も立《たた》なければならなくなった。その場を取りつくろう世辞をいって怒った風《ふう》も見せずに坂を下りて行った。道の二股《ふたまた》になった所で左に行こうとすると、闇をすかしていた仁右衛門は吼《ほ》えるように「右さ行くだ」と厳命した。笠井はそれにも背《そむ》かなかった。左の道を通って女が通って来るのだ。
 仁右衛門はまた独りになって闇の中にうずくまった。彼れは憤りにぶるぶる震えていた。生憎《あいにく》女の来ようがおそかった。怒った彼れには我慢が出来きらなかった。女の小屋に荒《あば》れこむ勢で立上ると彼れは白昼大道を行くような足どりで、藪道《やぶみち》をぐんぐん歩いて行った。ふとある疎藪《ぼさ》の所で彼れは野獣の敏感さを以て物のけはいを嗅《か》ぎ知った。彼れははた[#「はた」に傍点]と立停ってその
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