を右の肩にがくりと垂れたまま黙っていた。
国道の上にはさすがに人影が一人二人動いていた。大抵は市街地に出て一杯飲んでいたのらしく、行違いにしたたか酒の香を送ってよこすものもあった。彼れは酒の香をかぐと急にえぐられるような渇きと食欲とを覚えて、すれ違った男を見送ったりしたが、いまいましさに吐き捨てようとする唾はもう出て来なかった。糊《のり》のように粘ったものが唇《くちびる》の合せ目をとじ付けていた。
内地ならば庚申塚《こうしんづか》か石地蔵でもあるはずの所に、真黒になった一丈もありそうな標示杭《ひょうじぐい》が斜めになって立っていた。そこまで来ると干魚《ひざかな》をやく香《におい》がかすかに彼れの鼻をうったと思った。彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなくなった。鬣《たてがみ》と尻尾《しりっぽ》だけが風に従ってなびいた。
「何んていうだ農場は」
背丈《せた》けの図抜けて高い彼れは妻を見おろすようにしてこうつぶやいた。
「松川農場たらいうだが」
「たらいうだ? 白痴《こけ》」
彼れは妻と言葉を交わしたのが癪《しゃく》にさわった。そして馬の鼻をぐんと
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