なかった。赤坊は泣きづかれに疲れてほっぽり出されたままに何時《いつ》の間にか寝入っていた。
 居鎮《いしず》まって見ると隙間《すきま》もる風は刃《やいば》のように鋭く切り込んで来ていた。二人は申合せたように両方から近づいて、赤坊を間に入れて、抱寝《だきね》をしながら藁の中でがつがつと震えていた。しかしやがて疲労は凡《すべ》てを征服した。死のような眠りが三人を襲った。
 遠慮会釈もなく迅風《はやて》は山と野とをこめて吹きすさんだ。漆《うるし》のような闇が大河の如《ごと》く東へ東へと流れた。マッカリヌプリの絶巓《ぜってん》の雪だけが燐光を放ってかすかに光っていた。荒らくれた大きな自然だけがそこに甦《よみがえ》った。
 こうして仁右衛門夫婦は、何処《どこ》からともなくK村に現われ出て、松川農場の小作人になった。

   (二)

 仁右衛門の小屋から一町ほど離れて、K村から倶知安《くっちゃん》に通う道路添《みちぞ》いに、佐藤与十という小作人の小屋があった。与十という男は小柄で顔色も青く、何年たっても齢《とし》をとらないで、働きも甲斐《かい》なそうに見えたが、子供の多い事だけは農場一だった。あ
前へ 次へ
全77ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング