まざ》になった。一人は気軽く若い者の机の上から湯呑茶碗を持って来た。もう一人の男の腹がけの中からは骰子《さい》が二つ取出された。
店の若い者が眼をさまして見ると、彼らは昂奮《こうふん》した声を押つぶしながら、無気《むき》になって勝負に耽《ふけ》っていた。若い者は一寸《ちょっと》誘惑を感じたが気を取直して、
「困るでねえか、そうした事|店頭《みせさき》でおっ広《ぴろ》げて」
というと、
「困ったら積荷こと探して来《こ》う」
と仁右衛門は取り合わなかった。
昼になっても荷の回送はなかった。仁右衛門は自分からいい出しながら、面白くない勝負ばかりしていた。何方《どっち》に変るか自分でも分らないような気分が驀地《まっしぐら》に悪い方に傾いて来た。気を腐らせれば腐らすほど彼れのやま[#「やま」に傍点]は外れてしまった。彼れはくさくさしてふいと座を立った。相手が何とかいうのを振向きもせずに店を出た。雨は小休《おやみ》なく降り続けていた。昼餉《ひるげ》の煙が重く地面の上を這《は》っていた。
彼れはむしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]しながら馬力を引ぱって小屋の方に帰って行った。だらしなく降りつづける雨に草木も土もふやけ切って、空までがぽとり[#「ぽとり」に傍点]と地面の上に落ちて来そうにだらけていた。面白くない勝負をして焦立《いらだ》った仁右衛門の腹の中とは全く裏合せな煮《に》え切《き》らない景色だった。彼れは何か思い切った事をしてでも胸をすかせたく思った。丁度自分の畑の所まで来ると佐藤の年嵩《としかさ》の子供が三人学校の帰途《かえり》と見えて、荷物を斜《はす》に背中に背負って、頭からぐっしょり[#「ぐっしょり」に傍点]濡れながら、近路《ちかみち》するために畑の中を歩いていた。それを見ると仁右衛門は「待て」といって呼びとめた。振向いた子供たちは「まだか」の立っているのを見ると三人とも恐ろしさに顔の色を変えてしまった。殴りつけられる時するように腕をまげて目八分の所にやって、逃げ出す事もし得ないでいた。
「童子連《わらしづれ》は何条《なじょう》いうて他人《ひと》の畑さ踏み込んだ。百姓の餓鬼《がき》だに畑のう大事がる道知んねえだな。来《こ》う」
仁王立《におうだ》ちになって睨《にら》みすえながら彼れは怒鳴《どな》った。子供たちはもうおびえるように泣き出しながら恐《お》ず恐《お》ず仁右衛門の所に歩いて来た。待ちかまえた仁右衛門の鉄拳はいきなり十二ほどになる長女の痩《や》せた頬《ほお》をゆがむほどたたきつけた。三人の子供は一度に痛みを感じたように声を挙げてわめき出した。仁右衛門は長幼の容捨《ようしゃ》なく手あたり次第に殴りつけた。
小屋に帰ると妻は蓆の上にペッたんこに坐って馬にやる藁《わら》をざくりざくり切っていた。赤坊はいんちこ[#「いんちこ」に傍点]の中で章魚《たこ》のような頭を襤褸《ぼろ》から出して、軒から滴り落ちる雨垂れを見やっていた。彼れの気分にふさわない重苦しさが漲《みなぎ》って、運送店の店先に較《くら》べては何から何まで便所のように穢《きたな》かった。彼は黙ったままで唾をはき捨てながら馬の始末をするとすぐまた外に出た。雨は膚《はだ》まで沁《し》み徹《とお》ってぞくぞく寒かった。彼れの癇癪《かんしゃく》は更《さ》らにつのった。彼れはすたすたと佐藤の小屋に出かけた。が、ふと集会所に行ってる事に気がつくとその足ですぐ神社をさして急いだ。
集会所には朝の中《うち》から五十人近い小作者が集って場主の来るのを待っていたが、昼過ぎまで待ちぼけを喰《く》わされてしまった。場主はやがて帳場を伴《とも》につれて厚い外套《がいとう》を着てやって来た。上座《かみざ》に坐ると勿体《もったい》らしく神社の方を向いて柏手《かしわで》を打って黙拝をしてから、居合わせてる者らには半分も解らないような事をしたり[#「したり」に傍点]顔にいい聞かした。小作者らはけげんな顔をしながらも、場主の言葉が途切れると尤《もっと》もらしくうなずいた。やがて小作者らの要求が笠井によって提出せらるべき順番が来た。彼れは先ず親方は親で小作は子だと説き出して、小作者側の要求をかなり強くいい張った跡で、それはしかし無理な御願いだとか、物の解らない自分たちが考える事だからだとか、そんな事は先ず後廻しでもいい事だとか、自分のいい出した事を自分で打壊すような添言葉《そえことば》を付加えるのを忘れなかった。仁右衛門はちょうどそこに行き合せた。彼れは入口の羽目板《はめいた》に身をよせてじっと聞いていた。
「こうまあ色々とお願いしたじゃからは、お互も心をしめて帳場さんにも迷惑をかけぬだけにはせずばなあ(ここで彼れは一同を見渡した様子だった)。『万国心をあわせてな』と天理教のお歌様にもあ
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