に聞こえていた。仁右衛門は膝頭で腕を組み合せて、寝ようとはしなかった。馬と彼れは互に憐れむように見えた。
 しかし翌日になると彼れはまたこの打撃から跳ね返っていた。彼れは前の通りな狂暴な彼れになっていた。彼れはプラオを売って金に代えた。雑穀屋からは、燕麦《からすむぎ》が売れた時事務所から直接に代価を支払うようにするからといって、麦や大豆の前借りをした。そして馬力を頼んでそれを自分の小屋に運ばして置いて、賭場《とば》に出かけた。
 競馬の日の晩に村では一大事が起った。その晩おそくまで笠井の娘は松川の所に帰って来なかった。こんな晩に若い男女が畑の奥や森の中に姿を隠すのは珍らしい事でもないので初めの中《うち》は打捨てておいたが、余りおそくなるので、笠井の小屋を尋ねさすとそこにもいなかった。笠井は驚いて飛んで来た。しかし広い山野をどう探しようもなかった。夜のあけあけに大捜索が行われた。娘は河添《かわぞい》の窪地《くぼち》の林の中に失神して倒れていた。正気づいてから聞きただすと、大きな男が無理やりに娘をそこに連れて行って残虐《ざんぎゃく》を極めた辱《はず》かしめかたをしたのだと判《わか》った。笠井は広岡の名をいってしたり顔に小首を傾けた。事務所の硝子《ガラス》を広岡がこわすのを見たという者が出て来た。
 犯人の捜索は極めて秘密に、同時にこんな田舎《いなか》にしては厳重に行われた。場主の松川は少からざる懸賞までした。しかし手がかりは皆目《かいもく》つかなかった。疑いは妙に広岡の方にかかって行った。赤坊を殺したのは笠井だと広岡の始終いうのは誰でも知っていた。広岡の馬を躓《つまず》かしたのは間接ながら笠井の娘の仕業《しわざ》だった。蹄鉄屋が馬を広岡の所に連れて行ったのは夜の十時頃だったが広岡は小屋にいなかった。その晩広岡を村で見かけたものは一人もなかった。賭場にさえいなかった。仁右衛門に不利益な色々な事情は色々に数え上げられたが、具体的な証拠は少しも上らないで夏がくれた。
 秋の収穫時になるとまた雨が来た。乾燥が出来ないために、折角|実《みの》ったものまで腐る始末だった。小作はわやわやと事務所に集って小作料割引の歎願をしたが無益だった。彼らは案《あん》の定《じょう》燕麦|売揚《うりあげ》代金の中から厳密に小作料を控除された。来春の種子《たね》は愚か、冬の間を支える食料も満足に得られ
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