《とむね》を突いて浮んだ。彼れはその考に自分ながら驚いたように呆《あき》れて眼を見張っていたが、やがて大声を立てて頑童《がんどう》の如《ごと》く泣きおめき始めた。その声は醜く物凄《ものすご》かった。妻はきょっとん[#「きょっとん」に傍点]として、顔中を涙にしながら恐ろしげに良人《おっと》を見守った。
「笠井の四国猿めが、嬰子《にが》事殺しただ。殺しただあ」
彼れは醜い泣声の中からそう叫んだ。
翌日彼れはまた亜麻の束を馬力に積もうとした。そこには華手《はで》なモスリンの端切《はぎ》れが乱雲の中に現われた虹《にじ》のようにしっとり朝露にしめったまま穢《きた》ない馬力の上にしまい忘られていた。
(六)
狂暴な仁右衛門は赤坊を亡《な》くしてから手がつけられないほど狂暴になった。その狂暴を募らせるように烈《はげ》しい盛夏が来た。春先きの長雨を償うように雨は一滴も降らなかった。秋に収穫すべき作物は裏葉が片端《かたっぱし》から黄色に変った。自然に抵抗し切れない失望の声が、黙りこくった農夫の姿から叫ばれた。
一刻の暇もない農繁の真最中に馬市が市街地に立った。普段ならば人々は見向きもしないのだが、畑作をなげてしまった農夫らは、捨鉢《すてばち》な気分になって、馬の売買にでも多少の儲《もうけ》を見ようとしたから、前景気は思いの外《ほか》強かった。当日には近村からさえ見物が来たほど賑《にぎ》わった。丁度農場事務所裏の空地《あきち》に仮小屋が建てられて、爪《つめ》まで磨き上げられた耕馬が三十頭近く集まった。その中で仁右衛門の出した馬は殊に人の眼を牽《ひ》いた。
その翌日には競馬があった。場主までわざわざ函館《はこだて》からやって来た。屋台店や見世物小屋がかかって、祭礼に通有な香のむしむしする間を着飾った娘たちが、刺戟《しげき》の強い色を振播《ふりま》いて歩いた。
競馬場の埒《らち》の周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たちは決勝点の所に一段高く桟敷《さじき》をしつらえてそこから見物した。松川場主の側には子供に付添って笠井の娘が坐っていた。その娘は二、三年前から函館に出て松川の家に奉公していたのだ。父に似て細面《ほそおもて》の彼女は函館の生活に磨きをかけられて、この辺では際立って垢抜《あかぬ》けがしていた。競馬に加わる若い者はその妙齢な娘の前で手柄を見せようと争った
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