水の中に、身体を半分浸しながら、かんかんと鉄※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]を敲き落すのである。隣近所でおろす槌の響は、狭い空洞《うつろ》の中に籠り切って、丁度鳴りはためいて居る大鐘に頭を突っ込んだ通りだ。而して暑さに蒸れ切った空気と、夜よりも暗い暗闇とは、物恐ろしい仮睡に総ての人を誘うのである。敲いて居る中に気が遠くなって、頭と胴とが切り放された様に、頭は頭だけ、手は手だけで、勝手な働きをかすかに続けながら、悪い夢にでもうなされた様な重い心になって居るかと思うと、突然暗黒な物凄い空間の中に眼が覚める。周囲からは鼓膜でも破り相な勢で鉄と鉄とが相打つ音が逼る。動悸が手に取る如く感ぜられて、呼吸は今絶えるかとばかりに苦しい。喘いでも喘いでも、鼻に這入って来るのは窒素ばかりかと思われる汚い空気である。私は其の午後もそんな境涯に居た。然し私は其の日に限って其の境涯を格別気にしなかった。今日一日で仕事が打切りになると云う事も、一つの大なる期待ではあったが、軈て現われ来るべき大事件は若い好奇心と敵愾心とを極端に煽り立てて、私は勇士を乘せて戦場に駆け出そうとする牡馬の様に、暗闇の中で眼を輝
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